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着物作家・川島甚兵衛とは?
買取相場はどのくらい?

今回は川島甚兵衛(かわしまじんべえ)という着物作家についてまとめてみました。 川島家は170年以上の歴史を持つ京都西陣織の名家で、一般販売向けの作品として帯などの製造を行っています。

当主は代々「川島甚兵衛」を名乗っていますが、中でも特に2代目・川島甚兵衛が有名となっていますので、ここでも2代目を中心に解説させていただきます。また、川島甚兵衛の着物は海外でも高い評価を受けています。そのため、保存状態のいいものであれば高値で買い取ってもらえることも。

ここでは、川島甚兵衛のプロフィールや高価買取のコツについてお伝えしていきます。 「川島甚兵衛の帯を持っているが、そろそろ手放したい」 「川島甚兵衛の帯を売りたいが、どうしたらいいかわからない」 という方、ぜひご覧ください。

目次

川島甚兵衛とはどんな作家?

「川島甚兵衛」は、西陣織を手がける名家が代々受け継いでいる名前です。西陣織とは現在の京都市で生産される「先染め織物」の一種で、先に染色された糸を用いて複雑な絵柄を織り込んでいるという特徴を持ちます。

多くの工程を経て作られること、仕上がりが美しいことなどから「格式の高い織物」とされています。

2代目川島甚兵衛は1853年京都で呉服店を営む初代・川島甚兵衛の長男として生まれました。世襲前の名前は「辨次郎(べんじろう)」。

幼少期から織物の図案づくりに長けていたという辨次郎は1859年、初代と加賀(現在の石川県)など各地をまわり、織物について学びます。1868年には甲州(現在の山梨県)で織物業を視察し、織物の知識を深めました。

そして1879年、初代川島甚兵衛がこの世を去り、2代目・川島甚兵衛として家業を継承することになった川島。同年の秋には朝鮮半島に出向。これは「朝鮮貿易を視察したい」という初代の意思を継いだものだったといいます。

1881年、『丹後ちりめん』の改良に成功。以降、丹後ちりめんに西陣織の技術を応用する技法を確立させました。

1886年、当時官僚を務めていた品川弥二郎からドイツの帝室への献上品を作るよう命じられます。これがきっかけで品川弥二郎と交流を持つようになった川島甚兵衛。同年、品川弥二郎の海外視察に同行し、ヨーロッパの繊維技術を学んだ川島は「ゴブラン織」に着目します。

川島甚兵衛はこのゴブラン織りと日本で作られるつづれ織りに共通点があると確信し、より精度の高い織物を作ることを決意しました。

帰国後、自宅に研究施設を設けた川島甚兵衛は、ゴブラン織り機の改良にいそしみました。

1891年、川島甚兵衛のつくる西陣織が高く評価され、宮内省御用達の織物職人となります。翌年には「長期にわたり社会に奉仕する活動をし、顕著な実績をあげた人物」として緑綬褒章が授与されました。

1898年、かつて存在した帝室技芸員に任命。この帝室技芸員は戦前宮内省が管轄していた美術家・工芸家の顕彰制度で、名誉のある称号でした。

1906年、のちに三代目となる川島甚兵衛(当時の名は井上三六)を婿として迎え、1910年、染色家としての生涯を閉じました。

制作技術を高めた
「ゴブラン織り」の技法とは

ゴブラン織りはフランスで織物工房を営むゴブラン家がつくる「綴れ織」の一種です。当時は王室に献上されたタペストリーのことを「ゴブラン織り」と呼んでいたそうですが、現在はゴブラン織りも「織り」の技法として確立されています。

何百といった色を使って織られるゴブラン織りは繊細で美しく、大量生産ができません。また、一日に数センチほどしか進まないこともあるといわれるほど、時間がかかります。

とくにルイ14世時代に制作されたゴブラン織りは大きさや配色が素晴らしく、豪華絢爛。川島甚兵衛はこうしたタペストリーに魅了され、「改良版・ゴブラン織り」を確立させることを決意したのです。

そのためには、機械の改造だけでなく、表現方法も増やす必要がありました。そこで編み出されたのが「割杢」という独自のグラデーション方です。

これによって、既存の綴れ織、またゴブラン織りには見られない「川島の織物」として高く評価されるようになりました。

川島甚兵衛の作品紹介

ここでは2代目川島甚兵衛の作品を紹介します。
2代目が手がけた作品は一般市場に出回ることはないですが、
彼が選んだテーマなどをお伝えできればと思います。

  • 犬追物の図

    1890年に制作されたもので、第三回内国勧業博覧会に出品されました。のちに宮内省によって買い取られロシア帝室へ献上されました。

  • 富士巻狩図

    1891年に制作されたこちらの作品は壮大な富士山を囲うようにして木々や動物、人々などが描かれています。大変細やかな織りが評価されている本作品は、1888年に竣工された明治宮殿に納められました。

  • 葵祭の図

    1893年に制作されたもので、こちらも宮内省が購入後、当時アメリカで大統領を務めたスティーブン・グロバー・クリーブランド氏に贈られました。
    ちなみにスティーブン元大統領はホワイトハウスで結婚式を行った大統領で、22代・24代と二度と大統領を務めた人物です。

  • 日光祭礼の図

    1893年に作られた作品で、古くから開催されている日光の祭りを描いています。同年に開催されたシカゴ・コロンブス万国博覧会に出品されました。

  • 悲母観音図

    1895年に制作された『悲母観音図』は「近代日本画の父」と称されている狩野芳崖が描いた作品を川島甚兵衛専属画師が模写し、2代目川島甚兵衛が綴れ織りを行いました。
    織物の大きさは高さ245cm、幅100cm。悲母観音の表情が繊細に織られているこの作品は京都で開催された第4回内国勧業博覧会に出品されました。

  • 若冲動植綵絵

    1904年に制作されたもの。作品の原画は日本画家の伊藤若冲の代表作となる作品で、セントルイス万国博覧会に出品するために作られました。
    結果『若冲動植綵絵』は金賞を獲得しますが、作品が輸送中に火災によって焼失してしまうというトラブルにみまわれました。

  • 百花百鳥之図

    1905年に作成。ベルギーのリエージュで開催された万国博覧会に出品されました。現在は一部が宮内省によって保管されています。

川島甚兵衛の着物買取は
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川島家は4代にわたって織物をしている家系で、一般購入できる商品として帯などがあります。大量生産ができない高級織物ですので、状態のいいものであれば高価買取が期待できるでしょう。

なお、帯や着物を売るには着物に精通した査定士がいる買取業者に依頼するのがおすすめです。

着査定士がいないリサイクルショップなどでは川島甚兵衛の価値を見極めてもらえず、安い値段で買い取られてしまうこともありますので、注意してください。

買取福ちゃんには着物・帯の買取経験が豊富な査定士が在籍しております。

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