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着物作家・恵積五郎とは?
買取価格はどのくらい?

今回は着物作家の恵積五郎(めぐみせきごろう)についてまとめてみました。

恵積五郎は鹿児島県の奄美大島で作られている大島紬を作っている作家です。彼は絣(かすり)と呼ばれる技法を得意としており、その仕上がりは「まるで絵画のよう」と高い評価を受けています。
そんな恵積五郎が手がけた大島紬は現在でも非常に高い価値を持ち、中古着物の世界でも大変注目されています。

今回は恵積五郎について、また、彼を語るうえで欠かせない存在である息子・恵美知雄(めぐみみちお)や「恵大島」の買取金額についてお伝えします。
恵積五郎について知りたい」 「売却を考えている」 という方はぜひ参考にしてみてください。

目次

着物作家・恵積五郎とは?

恵積五郎の家系は、かつて鹿児島の地を治めた島津家に仕える武士で、もともとの家名は「荻原」でした。
「恵」と家名を改めたのは、恵積五郎の父・太助氏が恵家の養子になったことが理由で、今回ご紹介する恵積五郎も「恵」という姓で生を受けました。

ちなみに、恵家は琉球王朝から奄美大島に派遣された役人の中でも一番勢力があった家系だという説が残っています。

こうした歴史的背景がある家系のもとで誕生した恵積五郎でしたが、ある日父親の再婚話が浮上。このタイミングで家を出た恵積五郎は地元・奄美大島の名産品である「大島紬」の職人になることを決意しました。

大島紬は明治時代初期から商業用に生産されており、大正時代に生産数が急増しました。

そして昭和初期になると大島紬の歴史上、最大数である35万反を生産したという記録が残っています。

当時は職人の数も多かったこともあり、恵積五郎が大島紬の職人を志すことは特段、珍しいことではなかったのです。

しかし、1945年になると第二次世界大戦が勃発。戦争が終わる1954年まで大島紬が作られることはありませんでした。

戦後、多くのものを失った日本は「戦後の復興が最優先」という状況でしたが、恵積五郎は「恵大島紬織物」を立ちあげます。

多くの紬製造点が廃業せざるを得ない中、本場・大島紬を残そうと奮起した恵積五郎は、やがて大島紬の重鎮となりました。

1969年には息子である恵美知雄氏が2代目社長に就任。父である恵積五郎の想いと技術を継承します。

このあと詳しく説明しますが、恵美知雄は「白恵泥」なる技法を生み出した人物で、大島紬の中でもとくに知名度、人気が高い紬づくりに尽力しました。

1988年、恵積五郎は紬職人としての人生に幕を閉じます。気になる恵大島紬織物の現在についてですが、深刻な後継者不足により閉業しており、営業再開の目途は立っていません

よって、現在残されている恵積五郎及び恵美知雄の作品は現存するもののみとなっており、着物愛好家たちによって大切に保存されています。

恵大島紬織物の大島紬
「恵大島」

恵大島とは、恵大島紬織物で作られた大島紬のことをさす言葉ですが、中でも「恵積五郎がほどこした絣」が高い人気を誇ります。

ちなみに絣とは、織物の染織技法の一種で、「先に染織した糸を使って織る」という点が特徴の技法です。後から染める方法と違い、独特の「かすれ」が現れます。

この技法自体はインドで誕生したものとされており、14世紀から15世紀のあいだに琉球に伝わったといわれています。

しかし、従来の絣は十字模様、井桁など比較的シンプルな文様だったのに対し、恵積五郎が手がけた絣は楽しそうに遊ぶ童や鳥獣戯画を彷彿させるような動物たちなど、「まるで絵のようだ」といわれるものでした。

こうした超絶技巧ともとれる恵の絣を見た人々は、恵を「絣の魔術師」と呼ぶようになったといいます。

息子・恵美知雄が確立した
「白恵泥(はっけいどろ)」

恵大島の特徴はもうひとつあります。それが息子である恵美知雄が確立させた「白恵泥」です。

ちなみに恵美知雄は2代目に就任すると、これまで男物を主体としていた恵大島紬織物でも女物の生産を行うなどし、規模を拡大していきました。

そして同じく大島紬を扱う「廣田紬」の創業者・廣田勘蔵氏と深い交流をしていたことでも知られています。

ちなみに、「白恵泥」が誕生した背景にはこの廣田勘蔵氏が深く関係しています。

実は廣田氏、「これまでの白大島とは違う、マットで上品な白大島を作りたい」と考えていました。

これを恵美知雄に相談。その後、2代目恵が研究、試作を繰りかえしたことで、ツヤを抑えた「マットなオフホワイト」が完成したのです。

新しい白大島には薩摩焼の白土が使われています。
これにより、従来の白大島よりシワにならず、黄ばみにも強いというメリットも加わったといいます。

これを「白恵泥」と名付けた恵美知雄。恵大島紬織物の看板商品として生産をスタートさせました。

現在恵大島紬織物は閉業していますが、わずかに現存する白恵泥の大島紬はかつて交流をしていた廣田紬株式会社が保管、取り扱いをしているといいます。

恵積五郎の作品紹介

着物好きが「憧れの着物」とする大島紬の中でも
とくに人気が高いといわれている恵積五郎の作品。

絣の魔術師」と呼ばれるほど、精密で美しい
恵積五郎の作品の一部をご紹介します。

  • 本場大島紬『童の戯れ』

    全体に織り込まれた紅葉、そしてその周りで遊ぶ童。子供たちの中には拾った枝で遊ぶ子の姿も見られます。また紅葉の葉は1枚ずつ丁寧に織られており、「まるで絵のようだ」という言葉が頭をよぎる作品となっています。
    全体が黒に近い色味となっており、大島紬が持つ控え目な美しさが堪能できます。

  • 大島紬『桃山百隻』

    桃山とは、京都市伏見区の一角をさします。全面には宇治川が流れ、豊臣秀吉の時代にはこの桃山付近が城下町として栄えたこともあったといいます。
    この作品は、かつて城下町として栄えていたころの桃山を思わせるような作品で、風景、動物、植物などが織り込まれています。
    こちらも黒地となっておりますが、細かく織り込まれた絵柄には圧倒される美しさがあります。

恵積五郎の着物買取
価格はどれくらい?

着物の買取の世界では、着物愛好家からも人気が高い「」が非常に注目されています。

中でも今回ご紹介した「恵大島」はさらに現存数が少ないことから、高い価値があり、状態によっては高価買取が期待できるといえるでしょう。

2代目・恵美知雄が手がけた紬にも高い価値があることに違いありませんが、「とくに高い希少性がある」といえるのは恵積五郎が手がけた紬です。

彼が織る「絵のような絣」は現時点で再現が難しいとされており、今後新しいものが登場するめども立っていません。ちなみに、過去の恵積五郎作品の買取価格は最高で20万円もの価格がつきます。また着物の価値は時代によって変化するので、それ以上の価値がつくことも考えられます。

なお、福ちゃんでは恵積五郎、また恵美知雄が手がけた作品などの買取に力をいれています。

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