- ■ 名前
尾形光琳
- ■ 生年/没年
- 1658年(万治元年)~1716年7月20日
- ■ 出身地
- 京都
- ■ 作品の特徴
- 「琳派(りんぱ)」という造形をしていく上で同じ傾向の表現をする流派の呼び方がありますが、尾形光琳はこれを発展させた人物と言われています。大和絵を根本に置いて、豊かなデザインや装飾性を持ちつつ、絵画のみではなく掛軸や書、工芸品を創り出すといった幅広い統括性が琳派もとい光琳にはありました。背景に金箔を置いたり、パターンを繰り返して使用したり、心を奪われるほどの大胆な構図で描いたりといった特色が見られます。光琳が描く題材は草花が多く、他にも鳥獣や風月画などを扱っている作品も見られます。
尾形光琳の代表作
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琳派美術を大成させた日本画の巨匠尾形光琳の「伊勢物語八橋図」
尾形光琳といえば代表されるのは「燕子花図屏風」である。広がりを感じさせる金地に群青のカキツバタと緑青の枝葉が実によく映え、左隻と右隻との均衡された構図が見る者を魅了する。このカキツバタは尾形光琳が特に気に入って描いた題材であり、「燕子花図屏風」を描いた10年後に有名な「八橋図」を完成させる。等しく金地にあでやかなカキツバタが描かれており、そこへきわめて幾何学的な板橋が描かれているのである。尾形光琳は、相違なる素材を配置させることによって新境地を創出している。他にも国宝に指定される「八橋蒔絵螺鈿硯箱」にも取 り入れた題材だ。そもそもこの題材となったのは伊勢物語の第九段で東下りの道中三河国八橋で「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」と詠った場面である。この「伊勢物語八橋図」は同じ題材でも趣の違う構図になっており板橋の隣に座りこみお供の者たちとカキツバタを鑑賞しながら都へ思いを馳せる様子を掛幅で描いている。
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シンプルでありながら、尾形光琳の一味違う凛々しい魂心の作品が「松の図」
1658年から1716年の間に活躍した「尾形光琳」は江戸時代の画家の代表されるうちの一人であります。尾形光琳は「琳派」と呼ばれる表現方法を創造し、ヨーロッパや日本画にも大きな影響を与えました。尾形光琳は主な代表作として「燕子花図」や「紅白梅図」などの大画面の屏風絵を得意とし、国宝とされています。縦長に雄々しくまっすぐ描かれた「松の図」は、とても簡単かつ単調でありながらも、尾形光琳らしく絶妙な絵を書く技法が表されています。松の木は松竹梅といって昔から縁起のいいと言われており、その理由として松の木は常緑樹(年中、枝や幹に葉をつけているのを見られる木)であるため、寒い時期にも緑を絶やさず、青々しくしていることから「不老長寿」のシンボルとされています。尾形光琳は、二本の松樹を墨一色で表現し、樹木のみきに絡みつく「ツル」と「ツタ」の細部まで描かれた掛軸の「松の図」には縁担ぎの意味を思いを込めてたのではないかと伺えます。
尾形光琳の生涯
『尾形光琳』は、『本阿弥光悦』が生み出した「琳派」と呼ばれる日本画の流派を発展させた人物。江戸時代を代表する画家で、アメリカの東洋美術史家だったアーネスト・フェロノサに「世界最大の装飾画家」とまで言わしめた。代表作には国宝となっている『燕子花図(かきつばたず)』や『紅白梅図』、重要文化財である『風神雷神図』や『竹梅図』などがあり、大画面の屏風絵を得意とした。その明快で特徴的なデザインセンスは「光琳模様」という言葉を生み出した。その装飾性に富んだ華麗な画風は日本画史上最高の名作として後世に受け継がれる。また尾形光琳は紙、板、着物、硯箱など絵が描けるものならどんなものにでも巧みに描いた。工芸にも精通しており『燕子花図』と同じ題材で「伊勢物語」の八橋の状景を描いた『八橋蒔絵螺鈿硯箱(やつはしまきえらでんすずりばこ)』は国宝に認定されている。尾形光琳が本格的に美術創造に勤しんだのは放蕩生活から遺産を使い果たし家業も破産した40代から仕方がなく画家になったといわれている。後の国宝を生み出した芸術的感覚は放蕩していた時代の賜物であったのだろうか。
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