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竹内栖鳳買取
竹内栖鳳買取
■ 名前

竹内栖鳳

■ 生年/没年
1864年12月20日~1942年8月23日
■ 出身地
京都府京都市
■ 作品の特徴
竹内栖鳳の絵の特徴はなんといっても動物の躍動感にあります。代表作品のひとつである「大獅子図」は中でも目元の表現が特徴的です。筆のタッチはなるべく抑えながらも、重厚感を感じることができるその描写はまさに油彩画のようです。おそらく栖鳳はヨーロッパで見た西洋の絵画に感化され、表現を意識したのでしょう。また、栖鳳の風景画といえば「羅馬之図(ろーまのず)」や「河口」、「ベニスの月」のような幅広い縦長形式のものが多く見られます。それらは地平線が意識され、目の前に景色が広がるような構図です。しかし、栖鳳は明治期の一部の作品を除くと「街道午蔭」のような地平線の位置を明確に画面の低い位置での描写し、これらは今までの構成の概念に捉われない作品となりました。

竹内栖鳳の代表作

  • モデルを起用した竹内栖鳳初の本格的な人物画「アレ夕立に」

    アレ夕立に

    竹内栖鳳が初めてモデルを起用し、本格的な人物画を描いた「アレ夕立に」。清元節の「月花茲友鳥(つきとはなここにともどり)」(通称:山姥)を舞う舞妓の姿を描いたものです。顔を隠した扇の脇から覗いている舞妓の髪は、髪の毛一本一本が丁寧に描きこまれ、髪質が伝わってくるかのような繊細さと緻密さで表現されています。着物にはあえて輪郭線を使うことなく、たっぷりの絵具のみで芙蓉の花をみずみずしく描き上げているのが見て取れます。また、栖鳳が祇園の舞妓や自身の娘をモデルにアレ夕立にを制作していた頃、東本願寺大門天井画制作の仕事が入ってきた栖鳳は東京からみどりという少々名の知られたモデルを呼び「天女」の制作も兼ねていました。しかし、モデルであるみどりが急逝し、新たなモデルを求めるもののも見つけることが叶わなかった天井画は未完に終わってしまったそうです。栖鳳やその時学習の機会として一緒だった弟子たちも、忘れられることができない思い出となったのです。

  • 戦前の京都を代表する画家「竹内栖鳳(たけうちせいほう)」の肖像画として数少ない名作「絵になる最初」

    絵になる最初

    竹内栖鳳(たけうちせいほう)は四条派に西洋画を取り入れた新しい画風を改新した人物。また、「西の栖鳳」という異名を持ち、生物の一瞬の動きを目をこらして観察し、鮮やかに描く作品を数多く残してきましたが、そのなかでも数少ない肖像画を描いています。その代表作と言える掛軸「絵になる最初」は、モデルの心理をよく表しています。白い肌を覆う色鮮やかな着物と畳に置かれた帯、腕の隙間から出ているほんのりとした赤ら顔と潤んだ瞳の視線はモデルのその瞬間をよくとらえ、表現されています。竹内栖鳳は掛軸の「絵になる最初」を描くにあたり、障壁に行当たります。この時代は裸体をモデルとして使うことで話題となったが、その反面非難の声もあります。しかし、竹内栖鳳は「動物(鶏や花)の裸体は許されているのになぜ人物の裸体はだめなのか」と強く言い張った結果、古くからの風習を打破し、新たな創造として「絵になる最初」という作品を描いたとされています。

  • 竹内栖鳳の作品「班猫」。偶然通りかかった猫にインスピレーションを受けた竹内栖鳳の描く究極の猫の姿

    班猫

    竹内栖鳳は、戦前の日本画家である四条派の土田英林や幸野楳嶺を師とし、若手画家として出発しました。36歳の時にヨーロッパに渡り、イギリスのロマン主義の画家ターナーやフランスの印象派コローなどの影響を受けました。西洋の写実画法を積極的に摂取し、革命的な画風で日本画家としての名を広め、現在では重要文化財となっています。この竹内栖鳳の『班猫』という作品は、背景は大きく空間がとられ、ふわっとした毛並、白い前足をぴんと伸ばして、毛づくろいしている愛らしい姿が描かれています。毛づくろいしながらも、ブルーグリーンの瞳をうるうるさせ、こちらをしっかり見ている猫の生体を観察した作品です。栖鳳の班猫は、1924年(大正13年)に描かれており、モデルとなった猫は、偶然通りかかった近所の八百屋の愛猫にインスピレーションを受けたことから創られました。この班猫が、徽宗皇帝(中国、宋の時代)が描いた猫と似ていたことが、栖鳳の画家としての創作意欲を掻き立てました。栖鳳にとってモデルとなった猫はまさに、”究極の猫”の姿でした。

  • 勲章受賞を記念した竹内栖鳳の日の丸を描いたかのような作品「国瑞」

    国瑞

    見た目通り朱塗りの盆に載った二匹の鯉が描かれている竹内栖鳳の作品である「国瑞」。岩絵具を巧みに使い、色鮮やかに描かれた二匹の鯉からはその体の表面のぬめり具合さえ巧妙に表現されています。昭和12年(1937)の文化勲章受賞の際に栖鳳が、祝儀として配った朱塗りの盆と、受賞祝いに潮来より届けられた鯉から着想されたのではないかとされています。立身出世を表す「鯉の滝登り」という言葉を栖鳳の勲章ととらえ、盆を日の丸に見立てると、受賞に対する栖鳳の国への敬意の表れではないかと読み解くことができるのではないかと思います。
    栖鳳の綺麗な色使いは、栖鳳が若いころから優秀な商人や職人と接し画材提供に恵まれていた為だそうです。栖鳳は舶載の水彩絵の具を和紙に塗り自分用の色見本を作るなど、塗には特に拘りをみせていたたと伝えられます。現在この作品の下書きは京都にある京都市美術館に所蔵され、作品自体は大阪の髙島屋史料館に大切に所蔵されているとのことです。

竹内栖鳳の生涯

本名は竹内恒吉。戦前の京都画壇の代表であり近代日本画の先駆者で、最初は棲鳳と号した後、栖鳳と号するようになりました。霞中庵と号していた時期もあったそうです。そんな栖鳳は動物を描かせると、まるでその動物の匂いまで伝わるように描くと言われるほどの人物でした。
川魚料理屋の長男として生まれた栖鳳は四条派である土田英林に絵を習い始めた後に幸野楳嶺の私塾へと入門。その後、栖鳳の師である幸野楳嶺などの京都画壇の重鎮が次々と世を去る中、栖鳳が開いていた画塾には上村松園、小野竹喬といった次世代を担う者たちが次々と栖鳳の元へ集結していきました。この時期に制作された日本画が「雨霽」や「飼われたる猿と兎」、「大獅子図」、「花の山」、「蕭条」といった作品です。
手がける題材は得意とした動物にとどまることなく、人物画の研究にも弟子たちと一緒に熱心に取り組みました。その時の作品が栖鳳の代表作ともなっている「アレ夕立に」や「散華」、「天女」といった作品です。栖鳳は常に貪欲に自身の芸術を開拓していこうという気持ちに溢れていました。

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と思ったらご連絡下さい

自身もさることながら、数々の有名な作家を育てた竹内栖鳳。代表する「班猫」や「大獅子図」、「アレ夕立に」はもちろんのこと、数々の日本画や掛軸、写生帖を残している栖鳳の作品は、骨董品として非常に高価格で取引されております。真作なら高値がつくと予想されます。心当たりがありましたら鑑定や査定に出して、価値を見てみるのもいいのではないでしょうか。
近代日本画の先駆者としてその名を馳せている日本画家、『竹内栖鳳』。福ちゃんでは竹内栖鳳の作品買取を行っております。掛軸や日本画、写生帖など栖鳳の作品をお持ちの方は無料査定、高価買取を行っている福ちゃんに是非お問い合わせ下さい。ご利用お待ちしております。

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