• 骨董
  • 2025.05.04

谷文晁の買取を依頼するなら?作品の特徴や高値で買い取ってもらうポイント

谷文晁(たに・ぶんちょう)」のサインが入った作品の売却をお考えですか?谷文晁は、江戸時代後期に活躍した偉大な画家です。

数多くの有名作品を遺した反面、その人気の高さから、市場には贋作(偽物)が多く出回っています。谷文晁の作品を買取に出すなら、本物と贋作を見分けられる、確かな目をもった専門業者を選ぶことが、なによりも重要です。

当記事では、谷文晁の作品を高値で買い取ってもらうポイントを紹介しております。加えて、谷文晁の代表的な作品や贋作の特徴も解説しているため、売却時はぜひご参考にしてください。

【買取を依頼する前に】谷文晁とはどのような人物?

【買取を依頼する前に】谷文晁とはどのような人物?

谷文晁は既存の流派にとらわれず、あらゆる画法を貪欲に探求し、数多くの名作を世に遺しています。また、教育者として多くの弟子を輩出する塾を開くなど、長きにわたり絵画界の頂点に君臨した重鎮として活躍しました。

この非凡なる芸術家は、一体どのような人物だったのでしょうか?

ここからは、谷文晁の人物像について深掘します。

もしお手元に谷文晁の作品があり、売却をお考えなのであれば、まずは画家本人と芸術世界についての理解を深めていただくことが非常に重要です。なぜなら、このような理解を深めることが、作品の価値を見極める確かな眼を養い、より納得のいく買取価格を得るための第一歩となるからです。

谷文晁とは|江戸時代後期の日本の南画家

谷文晁は、1763年に江戸で生を受けます。父は田安徳川家の家臣で、漢詩人としても名高い「谷麓谷(たにろっこく)」です。

漢詩人として著名な父の影響を受け、谷文晁は幼い頃からごく自然に漢詩や和歌に触れ、豊かな文学的素養を育んでいきました。

絵画の道に進んだ谷文晁は、12歳頃に父の友人であった狩野派の絵師「加藤文麗(かとうぶんれい)」に師事し、画の基礎を学び始めます。次いで、「渡辺玄対(わたなべげんたい)」の門下に入り、さらに絵画の技術や知識を深めていきました。

こうした研鑽を重ね、谷文晁は画家として独自の地位を築くだけでなく、自身の画塾「写山楼(しゃざんろう)」を主宰。そこから多くの優れた弟子を世に送り出し、教育者としても、また当時の画壇における指導者としても、その名を広く知られるようになったのです。

谷文晁の画風

谷文晁は、花鳥画・人物画・仏画、さらに名高い山水画に至るまで、驚くほど多彩な画風で知られています。その卓越した技術と幅広い表現力は、後世の日本画にも大きな影響を与えました。

雄大な自然観を描き出した「富士山図屏風」や、緻密な筆致が光る「青緑山水図」など、数々の傑作を遺したことでも有名です。

谷文晁の画風の傾向から、「寛政文晁(かんせいぶんちょう)」と「鳥文晁(とりぶんちょう)」と呼ばれる、2つの時期(または様式)に大別されることがあります。

主に寛政年間(1789年~1801年)頃の作品に見られる「寛政文晁」と呼ばれる画風は、清雅で引き締まった筆線が冴える水墨画や、上品で美しい色彩を用いた着色画に特徴があります。代表的なものとしては、重要文化財に指定されている「公余探勝図」や「青山園荘図稿」などが有名です。

鳥文晁」と呼ばれる時期(主に文化・文政期以降とされることが多いですが、その区分や特徴については諸説あります)の画風は、さらに多様性を増し、円熟味を深めていきます。中国の南蘋派(なんぴんは)の影響を受けた写実的な花鳥画や、より自由で力強い筆致の山水画など、国内外のさまざまな流派や技法を巧みに融合させました。

このように、谷文晁は生涯を通じて常に新しい表現を模索し、それぞれの時期で異なる魅力をもつ画風を確立しました。その多彩な作品群は、現代においても私たちを惹きつけてやみません。

谷文晁の代表的な作品6つ

谷文晁の代表的な作品6つ

谷文晁は、江戸時代の絵画を語るうえでは欠かせない人物です。幼い頃から学んだ画風や幅広い技法を駆使して、後世にも受け継がれる作品を数多く遺しました。

谷文晁の多彩な画業を象徴する代表的な作品の中から、とくに注目すべき6つの名作を厳選してご紹介します。

公余探勝図巻(こうよたんしょうずかん)

1793年、老中・松平定信の江戸湾巡航に随行絵師として同行した谷文晁は、地形の記録として「公余探勝図巻」を制作。写真など存在しない時代において、目にした風景や地形を正確に描き留める画家の描写力は、地政学的な情報収集においても極めて重要でした。谷文晁は、その卓越した画技でこの大役を見事に果たしたのです。

公余探勝図は重要文化財に指定されており、遠近法や西洋画の陰影を駆使した風景画の名作です。江戸湾岸の風景全79図を、全2巻の壮大な絵巻物に収めています。

第1巻には「武州神奈川」から「柿崎山中南望」までの40図が、そして第2巻には「其二(柿崎山中南望つづき)」から「武州金澤 昇天山九覧亭舊跡 眺望」までの39図が、それぞれ収められています。この2巻合計で、79図が制作されました。

現在、この公余探勝図巻は東京国立博物館に収蔵されています。

那須眺望図(なすちょうぼうず)

1799年に制作された「那須眺望図」は、松平定信に同行した白河から江戸への帰り、那須(現在の栃木県那須地域)を通過した際の眺望を基にした作品です。実際の景色を題材としながらも、画家の主観を加えた「真景図(しんけいず)」の代表作の1つでもあります。谷文晁は、この旅で得た感動や印象を深く胸に刻み、本作へと昇華させました。

作品には、雪をいただいた富士山や筑波山に加え、右側には上州の山々が描かれています。しかし、この描写は、単なる風景の忠実な写しではありません。谷文晁が実際に見た景色を、彼自身の鋭い観察眼と独自の解釈を通じて再構築し、風景として描き出したといわれています。

現在、この那須眺望図は栃木県立美術館に収蔵されています。

集古十種(しゅうこじっしゅ)

1800年、谷文晁は松平定信の命を受け、全国の古文化財を記録した木版の図録集「集古十種」を制作。古社寺や旧家に伝わる文化財を網羅的に調査し、1859点にも及ぶ文化財を模写・記録しました。日本の貴重な文化遺産を後世に遺すことを目指したこの試みは、当時としては画期的な規模の文化財調査・記録事業として知られています。

収録された文化財は、文具・楽器・書画・印章・肖像・兵器・銅器・鏡・鐘名・碑銘の全10部門に分類され、それぞれの寸法や形状、特徴などが詳細な解説と共に記されています。この記録は単なる図録を超えた、日本の文化財保護と美術史研究の礎を築いた画期的な成果といえるでしょう。谷文晁自身も多くの模写図を手がけ、その正確無比な筆致は高く評価されました。

この大事業は松平定信が中心となって推進され、当代一流の学者や家臣、そして谷文晁をはじめとする多くの絵師たちが集いました。彼らが調査から模写・考証・版刻、さらには出版に至る各工程に尽力し、この「集古十種」が完成・刊行されるまでには、実に十数年以上の歳月が費やされたと伝えられています。

隅田川両岸図(すみだがわりょうがんず)

隅田川両岸図」といえば、葛飾北斎による「隅田川両岸景色図鑑」を思い浮かべる方も多いでしょう。しかし、谷文晁も、隅田川の風景を題材にした作品を遺しています。その遺作が、「隅田川両岸図」です。雄大な隅田川を中心に、遠景に富士山と筑波山を両岸に配したパノラマ的な構図が特徴です。

本作では、画面中央にゆったりと蛇行しながら流れる隅田川を大胆に配置。その両岸には、遠く富士の高嶺と筑波の霊峰を望み、広がりと奥行きのある空間を創出しています。当時の建物や人々の生活、季節の移り変わりなどを丁寧に描写しながらも、谷文晁ならではの多様な視点や構図を用いた作品です。

現在、この隅田川両岸図は群馬県立近代美術館に収蔵されています。

連山春色図(れんざんしゅんしょくず) 

1797年に制作された連山春色図は、上記でご紹介した「寛政文晁」期を代表する傑作の1つです。西洋画の陰影法と伝統的な中国山水画の技法や精神性を見事に融合しています。谷文晁は、自然を題材にした作品も数多く遺しており、「連山春色図」もその1つとして有名な作品です。現在は、静岡県立美術館に収蔵されています。

谷文晁は、生涯を通じて自然の美しさに深い感銘を受け、その感動を数多くの山水画として表現しました。「連山春色図」もまた、彼の卓越した「自然観察眼」と、絵画として昇華させる「構成力」を示す名品です。春霞の中に柔らかく連なる山々、その山肌に施された陰影には西洋画のリアリズムが感じられます。一方で、雄大にそびえ立つ峰々の姿や、山間を縫うように流れる渓流の表現には、東洋の伝統的な山水画がもつ気韻生動の精神性が色濃く反映されています。

連山春色図は、谷文晁の非凡な技量と、ジャンルや流派の垣根を越えて学ぶ柔軟な制作姿勢が鮮やかに見て取れる、傑作といえるでしょう。

富士山図屏風(ふじさんずびょうぶ)

富士山図屏風は1835年、谷文晁が73歳の頃に描いた作品です。最晩年の代表作の1つとしても知られています。生涯を通じて日本の象徴である富士山を敬愛し、数えきれないほどの富士山を描き続けたことで知られる谷文晁。この「富士山図屏風」は、谷文晁の長きにわたる富士山への探求と、画業の集大成ともいえる晩年の傑作です。

六曲一双の大画面に描かれた富士山は、大胆かつ極めて簡潔な筆致でありながら、見る者を圧倒するような気高さと、揺るぎない存在感に満ちています。山頂から広大な裾野へと流れるように描かれた尾根の線には、とくに鮮烈な群青色が効果的に配され、光の加減や鑑賞者の立つ位置によって富士の表情が刻々と変化し、神秘的な深みを与えているのです。

谷文晁が描いたこの「富士山図屏風」は、特定の場所から見た写実的な富士山の姿ではない、と指摘されています。谷文晁の心の中に長年培われた富士山の理想像、あるいは日本人の精神性の象徴としての霊峰富士の普遍的な姿を、晩年の円熟した技と創造力で表現したものといえるでしょう。

現在、この富士山図屏風は静岡県立美術館に収蔵されています。

買取前の注意点|谷文晁には贋作が多い!理由は?

買取前の注意点|谷文晁には贋作が多い!理由は?

谷文晁の作品は落款(自筆を示す印)があっても、100のうち99は偽物といわれるほど贋作が出回っています

理由の1つとして、谷文晁が経営していた画塾では、自身の落款を誰でも使えるように解放していたといわれています。そのため、多くの弟子が作品に谷文晁の落款を押し、販売していたようです。

つまり、数多く出回っている谷文晁の作品は、弟子の作品である可能性が考えられるのです。谷文晁の作品を買取に出すなら、経験豊富で買取実績の高い業者に依頼することをオススメします。

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谷文晁を含む絵画の贋作の特徴は?

谷文晁を含む絵画の贋作の特徴は?

谷文晁の作品は、落款が付いているにもかかわらず、贋作の可能性があります。思い出のある絵画を買取依頼したのに、偽物と査定結果が出たら悲しいですよね。

また、絵画が贋作と判明した場合、業者に買取を断られることも。

ここからは、谷文晁を含む絵画の贋作の特徴について解説いたします。谷文晁の絵画をお持ちで、本物か確かめたい方もぜひご参考にしてください。

後銘の作品

後銘(あとめい)は、その名のとおり作品完成後に入れられた銘です。作者本人が追記でサインを入れる場合もありますが、後銘のほとんどは第三者によって記された銘です。

とくに贋作が多いといわれる谷文晁は、自らが経営していた画塾でハンコの使用を許可していました。弟子の中には、文晁の名を使って作品を販売していた者もいたといわれています。

そのため、谷文晁の作品は本人の落款が押されていても、贋作と判断されるケースが多く存在しているのです。

後銘の見分け方として、墨の濃さや文字の形状に違いが現れます。また、判断基準として絵と銘で墨の濃さが違うと、第三者によって後銘を追記された可能性があります。

後絵の作品

後絵は、作品の完成後、なんらかの理由で絵の一部が修正されたり書き加えられたりした絵画です。保存状態を良くするために修復された場合もあるものの、価値を高めるために加筆された場合も考えられます。

後絵の作品の特徴として、上記でご紹介した後銘が入った絵画も含まれます。

しかし、素人が後絵の作品を見分けることは非常に困難です。谷文晁の作品の真贋を判断するためには、専門家による目利きが必要不可欠といえるでしょう。

谷文晁の作品を高く買取してもらうポイント

谷文晁の作品を高く買取してもらうポイント

谷文晁の作品は、アートマーケットを含む市場に多く出回っています。谷文晁の作品を手放すなら、少しでも高く買い取ってもらいたいですよね。

谷文晁の作品を高く買取してもらうポイントは、下記のとおりです。

✔︎ こまめにお手入れをする
✔︎ 付属品をそろえる
✔︎ 売却を決めたら早めに買取を依頼する

谷文晁の作品の売却をお考えの方は、ぜひご参考にしてください。

こまめにお手入れをする

谷文晁を含む絵画を高く買い取ってもらうには、保存状態が重要視されます。

谷文晁の作品は、多少の汚れが見受けられても価値がなくなるわけではありません。しかし、シミや汚れがある場合とない場合では買取価格が大きく変わります。

そのため、絵画を保存する際は、適切な湿度と温度の管理を徹底しましょう。

細部に装飾が施された額縁に作品が入っている場合は、装飾部分のほこりを綿棒で取るなど、売却前のお手入れも欠かせません。

付属品をそろえる

作品が本物かを示す「鑑定書」があれば、査定時に提出しましょう。絵画における鑑定書は、美術業界や作家本人の関係者が設立した公的機関で発行された書類のため、査定額の判断に大きくかかわります。

また、額縁などの付属品もお持ちであれば一緒に提示しましょう。絵画の査定では、額縁の装飾も作品の一部として考慮される傾向があります。

査定依頼前にこれらの付属品をそろえておくことで、より高額買取が期待できるでしょう。

売却を決めたら早めに買取を依頼する

谷文晁の作品を売却すると決められたのであれば、作品の価値が「最大限に評価されるタイミング」を逃さないことが、なによりも重要です。具体的には、経年による状態変化が進む前に、できる限り速やかに専門の買取業者へ相談されることを強く推奨いたします。

絵画というものは、どれほど大切に保管されていても、時間と共に避けられない変化が生じます。

たとえば、絵の具の微細なひび割れや剥落、支持体である紙や絹のシミや変形などは、専門的な知識と環境をもってしても完全に防ぐことは非常に困難です。そして、作品の状態は査定額を左右する大きな要素となります。谷文晁のような歴史的価値の高い作品であればなおのこと、良好な状態を維持しているうちに査定を受けることが、納得のいく買取価格につながります。

したがって、谷文晁作品をはじめとする貴重な絵画の売却をお考えの場合は、「少しでも状態が良いうちに」「信頼できる専門知識をもった業者へ」という2つのポイントを念頭に置き、買取を依頼することが賢明です。

早く売却したい」という気持ちが強いと、買取業者を十分に吟味せず、安易に選んでしまいがちです。しかし、そのような選び方をすると、「残念な結果」を招く可能性があります。

作品がもつ本来の価値よりも低く見積もられたり、手数料などで不利益を被ったりするケースがありますので、注意が必要です。

まずは焦らず、買取専門店の査定実績や利用者の評判、専門性などをしっかりと検討し、心から信頼できる買取先を見つけることから始めてください。

谷文晁の査定や買取は福ちゃんへ!

谷文晁の査定や買取は福ちゃんへ!

贋作が多いといわれる谷文晁の作品を査定するには、実績と専門的な知識をもち合わせた業者選びが重要です。

谷文晁の作品の査定や買取をご検討中なら、骨董品買取の実績が豊富な「福ちゃん」へお任せください。福ちゃんでは、作品の保存状態や市場の動向を含めた価格のご提示が可能です。

ここでは、福ちゃんの骨董品買取がオススメな理由をご紹介します。

豊富な知識をもつ一流の査定士が在籍

谷文晁の作品は贋作が多く、さらに自筆を示す印「落款」が見受けられても真贋の判断が難しいといわれています。そのため、豊富な知識をもった査定士に買取を依頼することが重要です。

買取福ちゃん」には、豊富な知識と経験を兼ね備えた査定士が在籍しております。

さらに、作品の状態だけでなく歴史的背景も細かく説明し、お客様に満足いただける価格のご提示を目指しております。

また、福ちゃんに在籍する査定士は、社内で徹底したマナー研修を行っているため、不透明性の高いお取引が可能です。

好みの買取方法が選べる|出張買取・店頭買取

福ちゃんの骨董品買取では、お客様のご都合に合わせて、「出張買取」と「店舗買取」2つからお選びいただけます。

出張買取:査定士が直接ご自宅にお伺いし、目の前で査定を行います。

店舗買取:福ちゃんの直営店に商品をお持ち込みいただき、査定後その場で査定結果を聞くことが可能です。

どちらも査定料やキャンセル料などは発生いたしませんので、安心してご利用くださいませ。また、1点からの査定依頼も承っており、買取価格にご納得いかなかった場合もその場でお断りいただいて構いません。

プライバシーマークを取得しており安心して利用できる

福ちゃんは、「個人情報を適切に管理している事業所」として、一級財団法日本情報経済社会推進協会より、プライバシーマークを取得しております。また、お電話や訪問時に買取を強要することは決してございません。

福ちゃんではお客様にサービスをご利用いただくうえで、安心して買取をお任せいただけるよう万全なセキュリティーを確保しております。

さらに、福ちゃんでは相談窓口を設け、お客様からのご意見を基に日々サービスの改善に努めております。

まとめ

谷文晁は、江戸時代を代表する画家です。「公余探勝図巻(こうよたんしょうずかん)」など、数多くの名作で知られる一方で、贋作が多い画家としても有名です。

贋作の特徴として、絵と銘で墨の濃さが違うことが挙げられます。そして、絵画の贋作を判断するには、専門家の知識が必要不可欠です。

福ちゃんでは、国内外問わずさまざまな絵画に精通した査定士が在籍しております。

他店で断られた絵画も、ぜひ一度「買取福ちゃん」にご相談ください

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