- 骨董品
- 2026.10.14
茶入の買取で価値を見るポイントとは?種類・窯・代表作家を紹介

ご実家や蔵の整理、あるいは遺品整理の折に、木箱に収められた小さな陶器の小壺を見かけたことはないでしょうか。
骨董品や茶道具に親しみが薄い方にとって、手のひらに収まるほどの小壺がどのような用途を持ち、どれほどの価値を秘めているのかを見極めるのは難しいものです。
この小さな容器は「茶入(ちゃいれ)」と呼ばれ、茶事のなかでもとくに大切にされる濃茶の席で用いられてきました。
茶道具のなかでも、茶入は濃茶に用いる主要な道具の一つとして、古くから大切に扱われています。
中国から渡来した伝来品、国内の名窯で焼かれた名品、近代の陶芸巨匠が手掛けた力作と、多彩な作品が愛好家の間で受け継がれてきました。
本記事では、茶入の基本的な役割や名物の歴史をはじめ、形の見分け方、産地による違い、査定で注目される代表的な窯や陶芸家の特徴を解説します。
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茶入とは?茶道具としての役割と特徴

茶道具には多種多様な器物があり、そのなかでも茶入は濃茶の席に欠かせない道具として重んじられてきました。
まずは茶入がどのようなもので、茶の湯においてどのような役目を持つのか、基本的な位置づけや歴史をたどります。
濃茶に使われる茶入と棗・茶壺との違い
茶入は、濃茶用の抹茶を入れて茶席に持ち出すための小型の陶磁器製容器です。
濃茶は薄茶より多くの抹茶を用いて練り上げる茶で、茶事のなかでもとくに大切なもてなしとして位置づけられます。
点前のあとに客が茶入を拝見する習わしもあり、席中で大きな存在感を放つ道具といえるでしょう。
抹茶を入れる道具には、濃茶に用いる茶入と、薄茶(うすちゃ)に用いる薄茶器があります。
薄茶器の代表格である棗(なつめ)は、木地に漆を施した漆器が典型的で、植物のナツメの実に似た愛らしい輪郭からその名が付きました。
茶入は焼き物で作られ、器形や土、釉薬の表情が鑑賞の対象となります。
名称が似ている道具として、茶壺(ちゃつぼ)も挙げられます。茶壺は葉茶を保管・運搬するための大型の壺で、初夏に摘んだ新茶を詰め、秋の口切りの時期まで保存する役割を担ってきました。
手のひらに乗る寸法の茶入とは、器の規模も使用目的も大きく異なります。茶入は濃茶の点前のために選ばれる、専用の小さな器です。
▼関連コラム
→ 棗(なつめ)の種類と価値|茶道具の基本から有名作家、高く売るコツまで
初花・新田・楢柴など名物茶入とその歴史
茶入の源流には、中世に中国から日本へもたらされた小型の陶製壺があります。
中国での本来の用途には諸説あり、日本では茶の湯の発展とともに抹茶を入れる器として珍重されるようになりました。
室町時代の茶人たちはその端正な姿や釉薬の奥深い美しさを見出し、濃茶を収める器として見立てたのです。
やがて優れた出来栄えの茶入は名物(めいぶつ)と称され、貴族や有力武将の間で大切に受け継がれていきました。
安土桃山時代に入ると、茶入は政治的な権威とも結び付くようになります。
織田信長や豊臣秀吉は名物茶道具の収集に力を注ぎ、武功を挙げた武将への恩賞として名物を与えました。
なかでも初花肩衝(はつはなかたつき)、新田肩衝(にったかたつき)、楢柴肩衝(ならしばかたつき)の3点は天下三肩衝と称され、天下人たちが手元に置くことを望んだ名品として記録に残されています。
一握りの名品が権力者の威信と結び付き、現代まで美術館や旧家に伝世するものもあるほどです。
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茶入の主な形と見分け方

茶入を鑑賞し、その個性を分類するうえで最もわかりやすい指標となるのが器の形です。
形の名称は果実や人体、自然物に見立てて名付けられたものが多く、中国から伝わった唐物茶入を基準に体系化されました。
お手元にある茶入がどの形に属しているかを把握すれば、作品の素性を探る手掛かりになるでしょう。
肩衝(かたつき)
肩衝は、口のすぐ下にあたる肩の部分が水平に張り出している形を指します。張り出した肩から裾に向かってすぼまる力強い輪郭が特徴です。
初花・新田・楢柴をはじめ、歴史上著名な名物にも肩衝が多く見られ、茶入を代表する形の一つとして知られています。
大ぶりなものを大肩衝、小ぶりなものを小肩衝、肩の張りがやや穏やかなものを半肩衝と呼び分ける場合もあり、同じ肩衝でも印象はさまざまです。
お手元の茶入の形を確かめる際は、まず肩の張り具合に注目してみてください。
文琳(ぶんりん)・茄子(なす)
文琳は、果実の林檎(りんご)を思わせる丸みのあるふっくらとした形の茶入です。
中国で林檎の美称として文琳の語が用いられていた故事に由来し、胴全体が豊かに膨らんだ均整の取れた姿が優雅な美しさを醸し出します。
茄子は、野菜のナスのように胴の下部がふっくらと膨らんだ下膨れの輪郭が特徴です。唐物茶入のなかでも文琳と並んで格の高い形と位置づけられ、歴代の茶人たちの憧れを集めてきました。
前田育徳会に所蔵される「唐物茄子茶入 銘 富士」など、名物として知られる作例が伝わっています。
丸壺(まるつぼ)・鶴首(つるくび)
丸壺は、全体的に丸く膨らんだ胴部を持ち、首の部分がすっきりと長く立ち上がっている形です。
同じく丸い胴を持つ文琳と比べると、首の立ち上がりが明確に長く作られている点が見分ける際の指標となります。
大徳寺龍光院に伝わる宗及丸壺のように、南宋時代の古格を伝える名品も知られるところです。
鶴首は、首が鶴の首を思わせるように細長く立ち上がった形を指します。
細身の首と穏やかな胴の対比が洗練された印象を与え、唐物・島物・国焼のいずれにもこの形に分類される作例が見られます。
大海(たいかい)・内海(ないかい)
大海は、大振りで口が広く、平丸形をした茶入です。低く安定感のある胴と広い口部が特徴で、唐物茶入にも代表的な作例が伝わっています。
内海は、大海と同様に口の広い形でありながら、一回り小ぶりな器形として説明されます。
両者の呼び分けには古くから複数の説があり、古い茶書のなかでも名称に揺れが見られる点は興味深いところです。
席中の趣向や取り合わせに応じて、大海の豪快さと内海の引き締まった佇まいが使い分けられてきました。
そのほかの形(瓢箪・鮟鱇・四滴など)
茶入には前述の代表形のほかにも、多彩な見立てによる個性豊かな形が伝えられています。
植物のヒョウタンのように胴の中央にくびれを持たせた瓢箪(ひょうたん)茶入は、侘びた風情を漂わせる器形として好まれてきました。
このほか鮟鱇(あんこう)など、形の特徴や見立てに由来する名称を持つ茶入も伝わっています。
関連する道具として知られるのが四滴(してき)です。
水滴(すいてき)、油滴(ゆてき)、弦付(つるつき)、手瓶(てがめ)の4種類を総称する陶製の小器で、それぞれ注ぎ口や取っ手の形に工夫が凝らされています。
裏千家では薄茶器として扱われており、濃茶用の茶入とは用途を分けて理解するとよいでしょう。
こうした多様な形は、季節や趣向に合わせて道具を選ぶ茶の湯の豊かな文化を今に伝えるものです。
茶入はどこで作られた?唐物・和物・島物の違い

茶入は製作された地域によって、唐物(からもの)、和物(わもの)、島物(しまもの)という3つの系統に大別されます。
それぞれ時代背景や土、釉薬の質感が異なり、茶道史における鑑賞の基準を形作ってきました。
唐物茶入
唐物茶入は、中国の宋代から元・明代にかけて製作され、日本へ渡来した茶入の総称です。中世の日本において高い権威を誇り、名物として記録される名品の多くがこの唐物に属します。
近年の発掘調査や陶磁史研究では、中国福建省福州周辺、とくに洪塘窯(こうとうよう)の出土品と日本に伝世する唐物茶入との共通点が明らかになり、洪塘窯系と考えられる作品も知られるようになりました。
胎土の色や釉調、底部の作りは作品ごとに異なり、その個性を見比べる楽しみが唐物鑑賞の醍醐味でしょう。
作品によっては、黒褐色や飴色を帯びた釉、胴に残る轆轤目、底部の糸切などが見どころとなります。
和物・瀬戸茶入
和物茶入は日本国内の窯で焼かれた茶入を指し、その中核を占めるのが愛知県の瀬戸焼です。
鎌倉時代に加藤四郎左衛門景正(藤四郎)が中国から製陶技術を持ち帰り、瀬戸の地で開窯したという伝承が古くから語り継がれてきました。
江戸時代後期には、茶人としても名高い大名・松平不昧が著書「瀬戸陶器濫觴(せととうきらんしょう)」において、瀬戸茶入を金華山や破風窯といった窯分け・手分けによって分類体系化しています。
近年は窯跡の発掘調査による考古学的研究が進み、従来の伝承的な年代観が見直されてきました。現存する瀬戸茶入の多くは17世紀前半を中心に生産されたとする見方が有力です。
和物茶入は唐物の端正さを手本としながら、日本独自の豊かな土味と轆轤目を活かした温かみのある作風を確立しました。
高取・膳所・薩摩などの国焼
江戸時代に入ると、茶入の生産は瀬戸にとどまらず、全国各地の大名が庇護する御用窯へと広がっていきました。
瀬戸以外の日本各地で焼かれた茶陶を国焼と呼びます。
筑前福岡藩の御用窯であった高取焼(福岡県)は、大名茶人・小堀遠州の指導を受け、薄手で上品な遠州好みの茶陶を生み出しました。
近江膳所藩の膳所焼(滋賀県)は、唐物の精緻さと和物の軽やかさを融合させた釉調で高く評価されています。
薩摩藩の薩摩焼(鹿児島県)には白薩摩と黒薩摩をはじめ幅広い系統があり、黒薩摩系の茶入では鉄分の多い胎土と黒褐色の釉調を生かした作例が見られます。
国焼茶入は、各地の藩主や茶人の美意識が色濃く反映された独自の魅力を備えた存在です。
南蛮・呂宋などの島物
島物は、茶の湯において唐物や高麗物とは異なる南方渡来系の陶磁器に用いられる呼称です。
呂宋(るそん)、ベトナムの安南(あんなん)、タイの宋胡録(すんころく)、さらに南蛮(なんばん)と総称される品々が含まれ、制作地がはっきりしない作品も島物として伝えられてきました。
島物の表情は実に多彩で、焼締の素朴な器から、褐釉、青磁、染付まで幅広い技法が見られます。
こうした東南アジア渡来の陶磁器の一部は、桃山時代以降の茶の湯で茶道具に見立てられ、安南や宋胡録などが珍重されました。
唐物や和物とは趣の異なる、野趣あふれる美しさが愛好家の心を捉えています。
買取で注目される茶入の代表的な窯・陶芸家

骨董品や茶道具の査定において、どこの窯で焼かれた器であるか、誰の手によって作られた作品であるかは、価値を見極める重要な基準となります。
ここでは、査定の現場で注目を集める歴史的な名窯と、近代から現代にかけて優れた茶陶を遺した代表的な陶芸家を取り上げ、その特徴と確認ポイントを解説します。
瀬戸焼(愛知県)
瀬戸焼は日本六古窯のひとつに数えられ、中世から施釉陶器を焼き続けてきた日本を代表する窯場です。
和物茶入の本流として膨大な作例が蓄積されており、査定においても出会う機会の多い産地といえます。
瀬戸茶入では、鉄釉や灰釉の表情、釉薬が器の途中で途切れる釉切れ、しずくのように垂れ下がる釉垂れ、轆轤目、底部の作りなどが、時代や作風を考える手掛かりになるでしょう。
中世の古瀬戸から桃山・江戸初期の瀬戸茶入、さらに幕末・近代の作品まで幅広く伝わっており、古い木箱に収められた作品はとくに丹念に確認されるところです。
高取焼(福岡県)
高取焼は、江戸時代初期に黒田藩の御用窯として開かれ、茶道界において確固たる地位を築いた名窯です。小堀遠州との関わりから、遠州七窯の一つとして知られています。
高取茶入の際立った特徴は、驚くほど薄く軽やかに挽き上げられた轆轤の精密さにあります。
鉄分を含んだ微細な胎土を用い、飴釉、黄釉、黒釉などを巧みに掛け分けた上品な釉調は、気品ある茶席にふさわしい風情を漂わせるものです。
近現代の高取焼では、作者銘や共箱、窯元の印銘なども、作者や窯元を確認する重要な手掛かりになります。
膳所焼(滋賀県)
膳所焼は、江戸時代初期に膳所藩の御用窯として展開した茶陶の名窯です。
菅沼定芳や石川忠総が藩主を務めた時代にはすでに制作が行われ、小堀遠州との関わりを深めながら発展しました。
茶入においては、黒褐色の深みのある鉄釉が薄く施され、控えめでありながら凛とした緊張感のある造形が特徴です。
派手な装飾を排し、土と釉薬の調和によって静寂の美を表現した膳所茶入は、茶人の間で高い評価を受け継いできました。
近代には1919年(大正8年)、岩崎健三によって膳所焼の復興が進められ、その後、岩崎新定らへ受け継がれています。
復興後の作品も含め、茶道関係者から深く愛され続けている窯です。
加藤唐九郎
加藤唐九郎(1897~1985)は、現在の愛知県瀬戸市にあたる愛知県東春日井郡に生まれ、桃山時代の古陶磁の復元に生涯を捧げた近代陶芸界の巨匠です。
古瀬戸や志野、黄瀬戸の窯跡調査に深く携わり、その知識と技術をもとに、生命力あふれる力強い陶芸作品を世に送り出しました。
唐九郎の手掛けた茶入は、古作の模倣にとどまらず、土の持つ野性味と重厚な釉薬の美しさが引き出されています。
荒川豊蔵
荒川豊蔵(1894~1985)は、岐阜県美濃の古窯跡から桃山時代の志野陶片を発見し、志野が美濃で焼かれたことを明らかにした功績で知られる重要無形文化財保持者(人間国宝)です。
多治見市虎渓山や可児市久々利の地で自ら窯を築き、伝統的な薪窯による作陶に取り組みました。志野や瀬戸黒を中心に幅広い茶陶を手がけ、茶入にも独自の作風を展開しています。
土や灰が生み出す自然な表情を生かした作品は、素朴さのなかに格調を備え、数多くの数寄者や茶人を惹きつけてきました。
金重陶陽
金重陶陽(1896~1967)は、途絶えかけていた中世古備前の焼成技術と土味を復活させ、備前焼として初の人間国宝に認定された名工です。
精密な轆轤の技と、窯焚きに対する深い探究によって、近代備前焼の礎を築きました。
陶陽の備前茶入では、松割木の灰が付着して生まれる胡麻(ごま)や、器が灰などに覆われて炎や酸素の状態が変化することで生じる桟切(さんぎり)など、備前焼特有の窯変が見どころとなります。
釉薬を用いない硬質で滑らかな肌合いと、端正な器形が調和した逸品は、市場においても常に注目を集める存在です。
茶入の価値は何で決まる?

茶入の査定額や市場での評価は、器の大きさや形といった単一の要素だけで決まるものではありません。
器本体の出来栄えに加え、長い歴史のなかで誰に愛され、どのような道具とともに受け継がれてきたのかという総合的な背景も価値を左右する要素です。
作家・窯・時代
茶入の評価の土台となるのが、その作品がいつの時代に、どこの産地や窯で焼かれ、誰の手によって生み出されたかという基本情報です。
宋・元時代の唐物や中世の古瀬戸といった古い時代物は、歴史的・骨董的な価値もあわせて評価されます。
近代以降の作品では、前述した加藤唐九郎や荒川豊蔵、金重陶陽のような巨匠陶芸家の作であるかどうかがポイントです。
作者や窯、制作年代、陶磁史上の位置づけは、茶入を評価する際の重要な判断材料になります。
形や釉薬の景色
陶器としての造形美と釉薬の表情は、茶入一点ごとの出来栄えを測るうえで極めて重要です。
全体のプロポーションが均整を保っているか、轆轤の引き加減に迷いがないか、口造りや底部の仕上げが端正であるかといった技術的な完成度が吟味されます。
釉薬の流れ落ちる様子(釉垂れ)や、釉薬を掛け残して素地を見せる釉切れの美しさは、茶道において景色(けしき)と呼ばれる鑑賞の対象です。
土の色合いと釉薬の調和が見事で、偶然と作為が融合した見どころを持つ作品ほど、美術的価値が高く評価されます。
仕覆・牙蓋・挽家・箱などの「次第」
茶入特有の鑑賞文化として外せないのが、次第(しだい)と呼ばれる一そろいの付属品の存在です。
名品とされる茶入には、本体を包む袋である仕覆、象牙で作られた牙蓋(げぶた)、茶入を納める木製の挽家(ひきや)、さらにそれらを包む内箱や外箱が重層的に付属します。
重要文化財に指定されている古瀬戸肩衝茶入「在中庵」のように、複数の仕覆(添え仕覆)が伝来している名品もあります。
仕覆には、金襴(きんらん)や緞子(どんす)、間道(かんどう)など、名物裂(めいぶつぎれ)として珍重されてきた裂地が用いられ、古い舶来裂を仕立てた仕覆が伝わる例も見られます。
こうした次第がそろって残されていれば、茶入がどのように伝来してきたかを考える重要な資料となり、査定でも本体とあわせて確認する対象となるでしょう。
共箱・箱書・銘
茶入を収める桐箱に記された墨書きは、作品の素性と由緒をたどる大切な手掛かりです。
作家自身が箱書きをした箱は共箱と呼ばれ、近現代作家の作品において作者や来歴を確認する重要な資料となります。
古い時代物や茶人好みの茶入には、三千家の歴代家元や高名な茶人による箱書が残る例もあります。また、作者や窯などを鑑定・認定する内容が記された極め箱もあります。
箱書には茶入に付けられた銘(固有の作品名)や家元の花押(かおう・署名)が記され、茶道界における格式を伝えてきました。
査定では、器本体の特徴や箱の年代、書付、伝来資料をあわせて確かめ、総合的に判断します。
保存状態と修復歴
焼き物である茶入において、本体の保存状態は評価の前提条件となります。
口縁部や底部に生じやすい小さな欠け(ホツ)や、ひび割れ(ニュウ)がない無傷の品が最も好ましい状態です。
古美術品としての茶入には、漆と金粉を用いて割れや欠けを直した金継ぎが施されている場合もあります。
金継ぎは、修復跡を隠さず意匠として生かす日本独自の修復文化として、茶の湯とも深く関わってきました。
伝来資料
過去にどのような人物や家に所持され、どのような茶会で用いられてきたかを記録した伝来資料の有無も、価値を測る重要な要素です。
茶入に添えられた手紙(添状)や、過去の茶会の道具組を記した茶会記、由緒書が木箱の中に大切に同封されている場合があります。
これらの書類の年代や内容が器本体の特徴と整合すれば、来歴を考えるうえで有力な資料となり、愛好家や研究者からの評価にもつながるでしょう。
茶入を見つけたときに注意したいこと

蔵や旧家の解体、遺品整理などの現場で古い茶入を発見した際、扱い方を誤ると作品の価値を大きく損ねてしまう危険があります。
何代にもわたって受け継がれてきた道具を安全に保ち、適正な評価を受けるために守りたい3つの注意点を解説します。
自分で水洗いや清掃をしない
長い年月にわたって保管されていた茶入には、表面に薄く埃が積もっていたり、土が付着していたりすることがあります。
少しでも綺麗に見せようとして、洗剤を使って水洗いしたり、硬いブラシで擦ったりする行為は避けてください。
古い茶入は、釉薬の状態や過去の修復、牙蓋の裏に施された金箔や漆などによって、水や摩擦の影響を受けることがあります。
状態の見極めには専門的な知識が必要なため、査定前の水洗いや洗剤による清掃は控えるのが安心です。
表面が安定している場合は柔らかい刷毛で浮いた埃を軽く払う程度にとどめ、釉薬や装飾、修復部分に不安があれば、見つかったままの状態で保管しましょう。
仕覆・蓋・箱・書類をまとめて残す
茶入本体の周辺には、長年の間に整えられたさまざまな付属品が寄り添っています。
古びて色あせた布袋(仕覆)や、変色した桐箱、包み紙、小さなメモ書きのような書面を見て、不要品と判断して処分してしまうことは避けてください。
仕覆の裂地や箱に書かれた文字、同封された添状は、茶入の来歴をたどるための貴重な資料です。箱や仕覆に傷みがあっても、作品の来歴や取り合わせを考える材料になります。
見つかったものは包み紙一枚に至るまで元の木箱の中に保管し、一そろいの状態で残しておくことが大切です。
蓋や仕覆を自己判断で交換しない
複数の茶道具が同じ場所に保管されている場合、どの茶入にどの蓋や仕覆が合うのかわかりにくくなっているケースがあります。
自己判断で適当な蓋を合わせたり、見栄えを良くするために新しい仕覆へ入れ替えたりする行為は避けるべきでしょう。
牙蓋や仕覆は、茶入の口径や器形に合わせて一点ずつ誂えられていることが多く、その組み合わせも茶入の来歴や取り合わせを考える手掛かりになります。
付属品がバラバラになっている場合は、周囲にあった道具や箱ごと専門の査定士に見せて確認を仰ぐのが望ましい対応です。
なお、象牙製の牙蓋が付属する茶入は、象牙製品の国内取引に関する種の保存法の規制対象となります。
売却する際は、取扱事業者が必要な登録を受けているかなど、現行制度に沿った取扱条件を確認してください。
まとめ

茶入は、茶事でとくに大切なもてなしとされる濃茶に用いられ、数ある茶道具のなかでも重んじられてきた道具です。
室町時代から戦国時代にかけて天下人たちに珍重された名物茶入の歴史をはじめ、肩衝や文琳、茄子といった多彩な形、唐物・和物・島物という産地の広がり、さらには名工たちが追求した陶芸美など、一握りの小さな壺の中に日本文化の粋が凝縮されています。
茶入の価値を判断するうえでは、作りの良し悪しに加え、仕覆や牙蓋、挽家などの次第の充実度、歴代家元の箱書、伝来を伝える資料の存在が総合的に関わってきます。
ご自宅や蔵で古い茶入を見つけられた際は、ご自身での水洗いや修復を控え、見つかった付属品をすべてそろえた状態で専門の査定士に見せることが、道具の価値を守る最善の選択です。
買取福ちゃんでは、茶入をはじめとする茶道具の査定や買取を行っております。価値の確認や売却をお考えの際は、買取福ちゃんの無料査定窓口まで、ぜひ気軽にご相談ください。
茶入の価値・買取に関するよくある質問
茶入の整理や査定に関して、お客様からよく寄せられる疑問についてQ&A形式でお答えします。
作者や窯がわからない茶入にも価値はある?
作者や窯を示す箱書・銘がない茶入にも、十分に価値が認められる品物は存在します。器の形状、胎土、釉薬、底部の作りなどは、制作年代や産地を推定するための重要な手掛かりです。
中世の古瀬戸や江戸時代の国焼、東南アジアから渡来した島物など、無銘の作品のなかに歴史的価値の高い優品が眠っている事例もあります。
仕覆や蓋がなくても価値は確認できる?
牙蓋や仕覆が失われ、陶器本体のみが残されている茶入も査定は可能です。
付属品がそろっている状態に比べると次第としてのまとまりは減るものの、器本体の希少性や時代、焼き物としての出来栄えが優れていれば、単体としての美術的価値が評価の対象になります。
自己判断で諦めず、そのままの状態で査定士に見せることをおすすめします。
欠けや金継ぎがある茶入にも価値はある?
骨董的価値の高い古い茶入では、金継ぎなどの修復歴があっても、それだけで価値が失われるわけではありません。
査定では、修復の程度や状態、作品自体の希少性や出来栄えを総合して評価しますので、現状を保ったままご相談ください。
箱書や銘がある場合は何を確認すればいい?
桐箱の蓋表や蓋裏に書かれた墨書き、添えられた花押を確認してください。
作家自身の手による共箱であるか、千家家元などの高名な茶人が揮毫した箱書であるかによって、作品の持つ意味合いが変わってきます。
銘が記されている場合は、茶道具としての来歴をたどる重要なポイントになるでしょう。
墨書きは擦れや水気に弱いため、布で拭いたり触ったりせず、そのままの状態でお見せください。
棗と茶入はどう見分ける?
基本的な違いは用途と器の作りにあります。濃茶用の茶入は陶磁器製が一般的で、牙蓋や布製の仕覆を伴うものが多く見られます。
棗は薄茶器の代表で、木地に漆を施し、表面が滑らかに仕上げられたものが典型的です。素材や形、付属品をあわせて見ると、両者を区別しやすくなります。

