- 古銭/記念硬貨
- 2019.04.17
沖縄復帰記念メダルの価値は?種類別の買取価格と「幻のメダル」の存在

1972年5月15日、沖縄県の施政権がアメリカから日本へ返還されました。この、いわゆる「沖縄復帰(沖縄返還)」は日本の戦後史においても極めて重要な出来事です。
その歴史的な節目を記念して、復帰が実現した1972年から現在に至るまで、様々な記念メダルや貨幣が発行されてきました。
これらのなかには、記念品としてだけでなく、高い歴史的価値や希少性を持つものが存在します。
とくに1972年に沖縄の子どもたちへ配られる予定だったものの、直前で中止となった「幻のメダル」は、当時の複雑な世相を物語る逸品として有名です。
この記事では、1972年に発行された初期のメダルから、復帰20周年、30周年、そして50周年といった節目に登場した記念メダル・記念貨幣を解説します。
ご自宅に眠っている沖縄復帰記念メダルの価値を知りたい方や、売却を検討されている方も、ぜひ最後までご覧ください。
1972年に発行された沖縄復帰記念メダルの種類と価値

1972年の沖縄本土復帰という歴史的な出来事を記念して、複数のメダルが発行されました。
日本政府が公式に準備したものから、当時の琉球政府が公認した民間発行のものまで、その種類は多岐にわたります。
ここでは、復帰当時に発行された主要な種類のメダルについて、その詳細と特徴を解説します。
日本政府発行の「沖縄復帰記念メダル」|幻のメダル
1972年、沖縄の本土復帰を祝して日本政府が公式に製作したのが「沖縄復帰記念メダル」です。
大蔵省造幣局(現在の造幣局)が製造したこのメダルは銅製で、表面には沖縄の象徴である守礼門が、裏面には「祖国復帰おめでとう」の文字と日の丸が刻まれています。
このメダルは、復帰当日の1972年5月15日に、沖縄県内の全小中学生約20万人に配布される予定でした。
しかし、当時の沖縄では米軍基地に関連する事件や事故が相次ぎ、多くの住民が基地問題の解決されないままでの復帰に複雑な感情を抱いていました。
そうした状況下で、沖縄県教職員組合が政府主導の祝賀行事への反発からメダルの受け取りを拒否し、配布は直前で中止となったのです。
結果として、準備されたメダルのほとんどが子どもたちの手に渡ることなく回収され、いつしか「幻のメダル」と呼ばれるように。
市場に出回る数は極めて少ないものの、素材が銅であるため、その価値は素材価値よりも歴史的背景を持つコレクターアイテムとしての側面が強くなっています。
琉球政府公認「沖縄日本復帰記念メダル」(民間発行)
日本政府発行のメダルとは別に、民間団体によって発行された記念メダルも存在します。その代表格が、社団法人沖縄平和慰霊像建立奉賛会が発行した「沖縄日本復帰記念メダル」です。
このメダルは、復帰前の沖縄を統治していた琉球政府から正式な公認を受けており、1972年5月15日に発行されました。
発行の主な目的は、戦没者慰霊のための平和祈念像建立を支援することにあり、募金的な意味合いを持つ記念品でした。
材質は純金、純銀、純銅など複数の種類にて製造。
デザインは、表面に平和慰霊像、裏面には平和を象徴する天女が描かれており、この天女像は平和慰霊像の制作者でもある彫刻家・山田真山画伯によるものです。
とくに希少性が高いものとして、重さ100gのK24純金で作られた小判型のメダルが知られています。こちらには「宇宙即我」「地上に平和を」という平和への祈りが刻まれています。
これらのメダルは広く無料配布されたものではなく、募金への返礼品や記念品として有償で頒布されました。
大蔵省造幣局製「沖縄復帰記念メダル」3点セット

1972年の沖縄復帰を記念し、大蔵省造幣局(現在の造幣局)が品位検定を行った金・銀・銅の3種類のメダルセットも発行されました。
それぞれのメダルのデザインは異なっており、沖縄の伝統や歴史、そして平和への願いが表現されています。
✔ 金メダル: 守礼門
✔ 銀メダル: シーサー像
✔ 銅メダル: 戦没学徒を祀る健児の塔
このセットは、沖縄の象徴的なモチーフを1つのセットに収めた記念品となっています。
琉球政府公認「沖縄復帰記念メダル」3点セット(翁長自修氏デザイン)

上記の造幣局製セットとは別に、琉球政府が公認した金・銀・銅の3点セットも発行されています。
添付文書に「唯一、沖縄県内で作られた復帰記念メダル」との記載があるのが大きな特徴です。
デザインは琉球大学の翁長自修先生が手がけました。
添付文書によれば、メダルのデザインは「県民の誇る守礼の門から遠く国会議事堂を望むデザイン」とされており、沖縄が日本に復帰したことを示す本土の象徴(国会議事堂)と、沖縄の象徴(守礼門)が融合されています。
このセットは主に本土のコレクターなどを対象に、箱に収められた限定品として販売されました。沖縄側の視点から復帰の意義を表現した、非常に意義深いメダルセットといえるでしょう。
査定・出張費・手数料はすべて無料。
《周年別》沖縄復帰の記念メダル・記念貨幣一覧

沖縄の本土復帰から10年、20年、そして50年と、大きな節目ごとにその歩みを記念する様々なメダルや貨幣が発行されてきました。
ここでは、復帰10周年から50周年までの主な記念メダル・記念貨幣を時系列で紹介します。
1992年 沖縄復帰20周年記念(500円白銅貨・記念メダル)

復帰20周年の節目にあたる1992年、日本政府は初めて沖縄復帰を記念する公式な貨幣として「沖縄復帰20周年記念500円白銅貨」を発行しました。
この記念硬貨は、銅とニッケルの合金である白銅でできており、表面には「首里城正殿」、裏面には沖縄にゆかりの深い「昇龍」が描かれています。
発行枚数は2,000万枚と非常に多いため希少価値は高くありませんが、地域色の強い題材を扱った記念500円白銅貨として大きな意義があるでしょう。
この500円硬貨の発行と同時に、造幣局は「沖縄復帰二十年記念貨幣発行記念メダル」という純銀製のメダルも発行しました。
こちらは直径55mm、重量120gという大型のメダルで、現在では希少性の高いコレクターズアイテムとなっています。
2002年 沖縄復帰30周年記念(記念メダル・切手セット)

復帰30周年を迎えた2002年には、国による公式な記念貨幣の発行はありませんでした。
その代わりに、民間の記念メダルメーカーである松本徽章工業株式会社から「沖縄復帰30周年記念メダル・記念切手特別セット」が限定販売されました。
この商品は、純銀製のメダルに純金メッキを施したものと、同年に発行された沖縄復帰30周年記念切手シートを特製のホルダーに収めたセットです。
民間主導で企画された記念品として、コレクターズアイテムとしての価値を持っています。
2012年 沖縄復帰40周年記念(純金メダル)
40周年にあたる2012年は、民間メーカーの松本徽章工業によって純金製の記念メダルが企画・販売されました。
この年には、K24純金を使用した大小2種類のメダルが、ごく限られた数量のみ生産されました。発行数が極めて少なかったため入手は困難で、発行当時の販売価格も数十万円以上と高価に。
近年の金価格の高騰により、メダルに含まれる金の素材価値だけでも相当な金額になります。
市場に出回ることはまれですが、もし取引される場合は非常に高額となることが予想される希少なメダルといえるでしょう。
財務省からは「地方自治法施行60周年記念貨幣」シリーズの一環として、「沖縄復帰40周年」をテーマにした記念貨幣(千円銀貨幣および五百円バイカラー・クラッド貨幣)を正式に発行しています。
2022年 沖縄復帰50周年記念(記念貨幣・各種メダル)

復帰50年という大きな節目には、政府による記念貨幣が発行されるなど、多種多様な記念品が登場しました。
記念貨幣
財務省から「1万円金貨」と「1000円銀貨」の2種類が発行されます。
純金製の1万円金貨は、首里城正殿と琉球舞踊の「四つ竹」を踊る女性がデザインされ、純銀製の1000円銀貨には、沖縄県鳥のノグチゲラと県花のデイゴがカラーで鮮やかに描かれています。
いずれも発行枚数が少なく抽選販売だったため人気が集中し、現在では発行価格を上回るプレミア価格で取引されています。
記念メダル(松本徽章工業製)
民間からは純金製2種類、純銀製1種類、そして金銀セットの計4種類のラインナップで記念メダルが発売されました。
デザインは、2019年に焼失した首里城正殿の在りし日の姿と沖縄本島地図が採用され、売上の一部が首里城の復興基金へ寄付されるなど、社会的な意義も持ち合わせています。
こちらも限定生産で多くの人気を集めました。
記念メダル(造幣局製)
記念貨幣の発行を記念して、造幣局からも純銀製のメダル「沖縄復帰50周年記念貨幣発行記念メダル」が発行されました。
直径60mm、重量160gという大型のメダルで、表面には記念金貨・銀貨の図柄、裏面には沖縄県が制作した公式ロゴマークが刻まれています。
限定3,000個の販売で、こちらも中古市場ではプレミア価格がついています。
沖縄復帰記念メダルの買取相場

沖縄復帰記念メダルは、その種類や素材、希少性によって買取価格が大きく異なります。
数十万円以上の高額で取引される純金製のメダルから、数千円程度で取引される銅製のメダルまで様々です。
また、近年の金や銀の価格高騰も、貴金属製メダルの価値を押し上げています。ここでは、主要な沖縄復帰記念メダルの現在の買取相場について、種類別に詳しく見ていきましょう。
1972年発行メダルの買取価格
貴金属の種類によって買取価格に大きく幅があります。
3枚がそろった完品は希少です。とくに金メダルの価値は金相場に大きく影響され、状態の良いフルセットであれば数十万円の査定額がついた事例もあるほど。
純金小判型のメダルでは、発行数が極めて少なく、純金という素材価値に高い希少価値が加わります。市場に出れば数百万円単位での取引も期待できる、大変貴重なメダルです。
そのほかのプラチナ製メダルも希少で、数十万円以上のプレミア価格のつく可能性もあるでしょう。
純銀・純銅製メダルは比較的流通量が多いため、数千円から数万円程度が一般的な相場です。
周年記念メダル・記念貨幣の買取価格
☑ 20周年記念
☑ 30周年記念
☑ 40周年記念
☑ 50周年記念
20周年記念
500円白銅貨は発行数が多いため、価値は額面に近くなります。一方、純銀製記念メダルは希少価値があり、数万円での買取が期待できます。
30周年記念
純銀メダルは、保管状態にもよりますが、数千円から1万円前後が相場となっています。
40周年記念
純金製で発行数が極めて少ないため、市場で見ることはほとんどありません。
現在の高い金価格を考慮すると、素材価値に希少価値が加わり、数十万円から百万円を超える非常に高額な査定となる可能性があります。
50周年記念
1万円金貨は額面を大きく上回り、20万円前後で取引されるケースが見られます。1000円銀貨も額面を超え、1万円前後が相場となっています。
松本徽章工業製・造幣局製メダルはいずれも販売品で人気が高く、発行価格を上回るプレミア価格に期待できるでしょう。
沖縄復帰記念メダルの価値を最大限に高める査定ポイント

沖縄復帰記念メダルの価値を正しく評価してもらい、できるだけ高く買い取ってもらうためには、いくつかの重要なポイントがあります。
メダル本体の状態はもちろん、付属品の有無や売却のタイミングも査定額に大きく影響します。ここでは、査定前に知っておきたい3つのポイントを具体的に解説します。
付属品(ケース・証明書)をそろえる
記念メダルを購入した際に付属していたケース(桐箱など)、説明書、そして品質を保証する証明書は、査定において非常に重要です。
これらがすべてそろっている「完品」の状態は、コレクションとしての価値を大きく高め、査定額のアップに直結します。
とくに限定発行されたメダルや貴金属製のメダルの場合、証明書は本物であることの証明となり、査定士が価値を判断するうえで不可欠な要素となるのです。
査定に出す前には、これらの付属品が残っていないか、今一度ご確認ください。
良好な保存状態を保つ
メダルの状態は、査定額を決定する最も重要な項目です。表面の傷、汚れ、変色、サビなどは、価値を大きく下げてしまう原因となります。
メダルを扱う際は、指紋や皮脂が付着しないように直接素手で触れることを避け、布手袋などを使用するとよいでしょう。
また、汚れが気になる場合でも、ご自身で磨いたり洗浄したりするのは避けるべきです。研磨剤などで磨くと、表面に微細な傷がつき、かえって価値を損なう可能性があります。
湿気や直射日光を避けた場所で保管し、査定には現状のままお出しいただくことをオススメします。
金・銀の市場価格が高い時期を狙う
純金や純銀で作られた記念メダルは、コレクションとしての価値に加えて、素材である「地金」としての価値も持ちます。
金や銀の市場価格は日々変動しており、価格が高騰しているタイミングで売却することで買取価格も高くなるでしょう。
ただし、記念メダルの最終的な買取価格は、地金価値だけでなく、希少性やデザインの人気度といったプレミア価値も加味して決まります。
そのため、地金の知識だけでなく、古銭やメダルの専門知識を持つ買取業者に相談することが重要です。
まとめ
この記事では、1972年の沖縄本土復帰を記念して発行されたメダルから、50周年の記念金貨・銀貨に至るまで、その種類や歴史、そして現在の価値について詳しく解説しました。
復帰当時に配布されなかった「幻のメダル」をはじめ、それぞれのメダルが沖縄の激動の歩みを象徴する貴重な歴史的遺産であることがわかります。
これらのメダルの価値は、使われている素材、発行枚数の少なさ、保存状態、そして付属品の有無など、様々な要因によって決まります。
そのため、その価値を正確に判断するには、専門家による査定が不可欠です。
もし、ご自宅で沖縄復帰記念メダルが見つかり、その売却を検討されているのであれば、ぜひ福ちゃんにご相談ください。
記念メダルに関する豊富な専門知識を持つ査定士が、お客様の大切な品物を一つひとつ丁寧に拝見し、その価値を最大限に評価いたします。
買取や査定での手数料は無料ですので、まずは弊社までお気軽にご相談ください。

