日本古代の穴銭「皇朝十二銭」とは?穴銭買取における価値や種類一覧
「皇朝十二銭ってどんな穴銭?」
「皇朝十二銭の種類には何がある?」
という方のために、穴銭「皇朝十二銭」の価値や種類についてまとめました。
皇朝十二銭のなかでは「和同開珎」が有名ですが、他にはどんな穴銭があるか見てみましょう。
目次
穴銭「皇朝十二銭」とは?

「皇朝十二銭」とは、政府が公式に発行した12種類の穴銭で、「本朝十二銭」とも言われています。
一番最初の皇朝十二銭である「和同開珎」が発行され、最後の皇朝十二銭である「乾元大宝」が発行されるまで、奈良時代から平安時代にかけて鋳造されました。
当時の日本は物品貨幣が主流だったため、政府は貨幣制度を整備し、平城京遷都に必要な莫大な費用を賄うのを目的に発行したと言われています。
政府の力が弱まったこともあり、乾元大宝発行後はだんだん貨幣が使用されなくなり、それから約600年後に発行される「寛永通宝」まで日本は政府公式の銭貨をつくっていません。
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皇朝十二銭の種類をわかりやすく解説

- ・和同開珎
- ・万年通宝
- ・神功開宝
- ・隆平永宝
- ・富寿神宝
- ・承和昌宝
- ・長年大宝
- ・饒益神宝
- ・貞観永宝
- ・寛平大宝
- ・延喜通宝
- ・乾元大宝
皇朝十二銭にはその名の通り12種類があります。
それぞれ詳しく、見ていきましょう。
和同開珎(708年)
皇朝十二銭として一番最初に発行されたのが、日本で最初の流通貨幣と言われている「和同開珎」です。
和同開珎とよく比較される穴銭で「富本銭」というものがあります。
富本銭は発行年数が和同開珎より古いとされていますが、流通貨幣としては使用されていないと言われており、今のところは和同開珎が最古の流通貨幣という説が濃厚です。
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万年通宝(760年)
和同開珎の次に発行されたのが「万年通宝」で、奈良時代の公卿だった藤原仲麻呂が発行しました。
穴の周りに「萬年通寳」と時計回りに彫られており、裏面が無地なのが特徴です。
万年通宝は、和同開珎10枚に対して万年通宝1枚という交換比率の評判が悪く、5年という短い期間で発行停止となりました。
神功開宝(765年)
「神功開宝」は皇朝十二銭の3番目として発行され、しばらくは万年通宝と併用されていました。
表面に「神功開寳」と刻印されており、書体にはいくつもの種類があったと言われています。
珍しい書体は高額買取される可能性もあるので、ぜひ査定に出してみてください。
隆平永宝(796年)
皇朝十二銭の4番目として鋳造されたのが「隆平永宝」です。
現存数が少なく、皇朝十二銭のなかでは比較的希少価値が高いと言われています。
隆平永宝は旧銭の廃止を目的として発行されましたが、廃止計画は頓挫して818年に中止されました。
富寿神宝(818年)
「富寿神宝」は第52代天皇の嵯峨天皇が即位しているときに発行された皇朝十二銭です。
この頃、銅が不足して銅銭の鋳造には鉛が多く含有されるようになったとされています。
政府公認の銅銭は、富寿神宝から質が劣悪になったと言われています。
承和昌宝(835年)
皇朝十二銭の6番目である「承和昌宝」は、仁徳天皇の時代である承和2年に発行されました。
元号が名称に使われた日本初の穴銭です。
旧銭10枚で承和昌宝1枚という交換率だったため、旧銭を溶かしてつくる私鋳銭が大量につくられたと言われています。
長年大宝(848年)
承和昌宝の次に発行されたのが「長年大宝」という皇朝十二銭です。
長年大宝は希少価値が高い古銭の一つで、さまざまな種類があります。
コレクターに人気があるのは銭径や銭文が小さい「小字」と呼ばれる種類と、銭径や銭文が大きめの「大様」と呼ばれる種類です。
饒益神宝(859年)
「饒益神宝」は、859年に発行された皇朝十二銭です。
饒益神宝から銭の質はさらに悪くなったと言われており、刻印されている文字の判別が難しいほどだったと言われています。
また、皇朝十二銭のなかでは現存数も少なく、文字が判別できる美品ともなれば希少性はさらに増す でしょう。
貞観永宝(870年)
「貞観永宝」は皇朝十二銭の9番目として発行されました。
旧銭の傷みが激しいので、新しい銭貨で旧銭を一掃する目的で鋳造されたと言われています。
とはいえ、銅銭自体の質は向上せず、銅の含有率は半分以下で鉛の含有率も低くならないままだったそうです。
寛平大宝(894年)
貞観永宝の次に「寛平大宝」という皇朝十二銭が発行されました。
寛平大宝は、それまで鋳造された皇朝十二銭よりもひとまわり小さくつくられています。
寛平大宝にはいくつか種類がありますが、特に注目されているのは「寛」にあるウ冠の両端が真っ直ぐ降りており、全体の文字が大きめである「大字」という種類です。
延喜通宝(907年)
皇朝十二銭の11番目として907年に「延喜通宝」が発行されました。
銅不足から銅銭の劣化は留まることを知らず、延喜通宝はもはや鉛が主成分になりつつありました。
彫られた文字も解読できないものが多いほど、当時から粗悪な質だったと言われています。
乾元大宝(958年)
「乾元大宝」は最後の皇朝十二銭です。
鉛が75%以上を占めるなど、品質は銅銭と呼べる代物ではなかったと言われています。
963年に鋳造終了するまで5年間発行されましたが、流通範囲は狭く、日常生活に浸透していませんでした。
皇朝十二銭の穴銭は買取してもらえる?

皇朝十二銭は歴史的価値が高い穴銭なので、買取してもらえる可能性は十分あります。
状態がいいものは数万円以上の高価買取が実現するかもしれません。
しかし、1,000年以上前の古い貨幣であり、12種類をさらに細分化すれば種類も多種多様です。
現物をさまざまな角度から査定しなければ価値がつけられない穴銭なので、穴銭に強い買取業者に見てもらいましょう。
皇朝十二銭の穴銭買取は福ちゃんへ

「皇朝十二銭」とは、708年から約250年に渡って政府が発行した12種類の穴銭です。
日本最古の流通通貨とされている「和同開珎」を初め、最後は「乾元大宝」で幕を閉じました。
歴史的価値が高いので、状態が良好であれば数万円の買取価格がつくこともあります。
皇朝十二銭は、穴銭買取について多数の実績を持つ福ちゃんにお任せください。
福ちゃんには、穴銭に関して豊富な知識を持ち、幾度となく買取をまとめてきた経験が多数あるプロが在籍しています。
皇朝十二銭を含む穴銭買取は、ぜひ福ちゃんへどうぞ。
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