着物作家・喜多川俵二とは?
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今回は、「有職織物」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されている着物作家・喜多川俵二(きたがわひょうじ)について取り上げます。
喜多川俵二は京都西陣で古くから続く織屋である「俵屋」の当主であり、さらに皇室やさまざまな神宮に納める織物を多く手がける作家でもあります。
その作品はいずれも高い価値を誇りますが、ここではそんな喜多川俵二の詳しいプロフィールや代表的な作品などについて解説します。
喜多川俵二とはどんな着物作家?
1936年、喜多川俵二は京都に生まれました。
父は、室町時代から続く由緒ある織屋・俵屋の17代当主であり、なおかつ「有職織物」の人間国宝でもあった喜多川平朗で、俵二はそんな父のもとで有職織物の技術を学びつつ、父が制作する際にはその補佐を手がけるようになります。
父・平朗にまさるとも劣らない活躍を見せ、皇室の御用織物を積極的に手がけ、また平朗のライフワークのひとつであった古代の有職織物の復元(正倉院宝物など)にも携わりました。
1988年、平朗が死去するとその跡を継いで俵屋の18代目当主となります。
その後、俵屋の当主として優れた名古屋帯などを多く手がけるかたわら皇室の御用も務め、1993年には当時の皇太子(現在の天皇陛下)が着用する束帯(装束)の「縠黄丹御袍」の制作を手がけました。
そして1999年、父に続いて「有職織物」の重要無形文化財保持者に認定されます。
また2006年には旭日小綬章を受章。現在もなお、優れた着物作家のひとりとしてさまざまな作品を世に送り出しています。
喜多川俵二の「有職織物」とは?
そもそも「有職織物」の“有職”とは古代から由緒ある公家・武家や皇室などにおける礼式に関する知識のことを指します。そして「有職織物」とは、まさしく古来の朝廷を中心とした貴族文化の中で生み出された絹織物を指します。
もともとは奈良時代に中国から伝来したもので、当初は輸入された織物が使用されていましたが、やがて国産の織物も生み出されるようになったという経緯があります。
平安時代には完全に和様化されて朝廷を中心に使用されており、室町時代に全盛期を迎えることになります。この時代に有職織物を手がけていたのが、のちに俵二が18代当主となる俵屋でした。
喜多川俵二は父・平朗のもとで学んだ技術と経験を活かし、すでに紹介したような1993年の皇太子(当時)の束帯の制作をはじめ、さまざまな有職織物の作品を手がけています。
1989年には伊勢神宮の式年遷宮における神宝装束の鞍三懸・羅・顕紋紗を手がけたほか、1997年には当時の天皇陛下の束帯を制作し、さらには日本能楽堂で披露された新作能「額田王」の束帯を唐織の技術を使って仕上げるなど活躍しています。
喜多川俵二の作品紹介
ここでは、喜多川俵二が手がけた作品のうち、
特に代表的なものを紹介します。
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顕紋紗二陪織物夏袿りんどう花菱丸文
「顕紋紗」は羅の簡略版というべき織物ですが、こちらの作品は生地のなめらかな質感や文様の美しさも相まって、格調の高さをしっかり感じさせる仕上がりになっているのが特徴です。
全面に連続紋を織り出したうえに、別の色糸を使って“上紋”を織り出す「二陪織物(ふたえおりもの)」となっているのもポイントのひとつで、涼やかさとともに重厚感を感じさせる一品となっています。
こちらの作品は2012年に制作されたもので、現在は国立工芸館に所蔵されています。
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喜多川俵二は「有職織物」の人間国宝であり、皇室や由緒ある神社に納める織物の数々を手がけています。
しかしその一方で、古くから続く織屋の俵屋の当主として、一般向けの品物も多く手がけています。
特に代表的なのは帯で、中古市場でも俵二が手がける名古屋帯や袋帯などが出ることがあります。
そんな喜多川俵二の作品の売却をお考えの際は、ぜひ福ちゃんにお任せください。
喜多川俵二の作品は、人間国宝が手がけた品ということもあって高い人気と価値を誇りますが、生半可な知識や経験しかない業者に任せると適切な価値を見出してもらえない可能性があります。
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