組紐師・深見重助とは?
作品を高く買い取ってもらう方法とは?
深見重助とはどんな人物?
深見重助(幼名・喜多郎)は1885年、京都西陣に生まれました。
生家は250年以上続く組紐師の家で、「松葉屋」という屋号を持っていました。
そんな中で育った喜多郎は、10歳のときから父(12代目・深見重助)から家業について学び、高等小学校を卒業後は家業に専念します。
また1901年には幕末から明治時代に活躍した国学者兼神職(祈祷やお祓いなどの神事を行う者)の猪熊夏樹に師事して有職の知識を学びます。またこの頃、染織に関する研究も行っていたといいます。
長い歴史がある深見家は立太子礼の際に用いられた唐組平緒を制作したほか、20年ごとに行われている「伊勢神宮式年遷宮」に用いる御神宝太刀の平緒を制作していますが、喜多郎は1909年、1929年の式年遷宮に用いる平緒制作に参加。当時は12代目と共に製作に励みました。
1930年、12代目が逝去したことを受け、13代目・深見重助を襲名。高度な技術を持っていた深見重助は正倉院宝物の紐緒や厳島神社の平家納経、中尊寺の紺紙金字一切経付属の紐緒といった国宝の復元にも携わってきました。
このほか、明治神宮や北野天満宮、石清水八幡宮などの神剣に使われている平緒を制作するなどし、1956年、重要無形文化財「唐組」保持者に認定されます。
人間国宝となり多方面で活躍した深見重助でしたが、1974年逝去。現在も「唐組」の人間国宝は深見重助ただひとりとなります。
深見重助の「唐組平緒」とは?
「唐組平緒」は平安束帯を着用するときの帯剣の緒で、腰に巻いて端を正面に垂らす“飾り”として用いられました。
300本もの細い糸の先にある駒を動かしながら編み上げていくという独特な手法で作られているのが特徴で、奈良時代に中国から伝わってきたとされていますが、「唐組」という名称になったのは平安時代以降だとされています。
多数の駒を操作するのが非常に難しく、熟練の職人であっても1日に1cm程度しか織りあげることができません。よって、4mもの長さの平緒を編み上げるとなると1年以上を費やす作業になるといいます。
また使用する糸の染色はすべて天然由来のもので染められており、その染色もすべて組紐師が行います。
染色の技術、組紐の技術どちらも必要であることから、組紐師になるためには長い修行が必要になります。
染色の研究家としての一面も持っていた深見重助。
制作した作品はいずれも上品な色彩が特徴で、一般向けには帯締めや羽織紐などが作られました。
深見重助の作品紹介
ここでは深見重助の作品の一部について解説します。
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唐組平緒(1929年制作)
長さ369cm、幅12cmという大作で、現在は伊勢神宮・神宮司廰祭儀部によって厳重に保管されています。縁の一部だけでも16色の色が使われ、細やかな文様が編み込まれているのが特徴で、使用している染料はすべて草の根、木の皮などから抽出された天然染料です。
深見重助の作品を
高く買い取ってもらうためには?
深見重助の作品は人間国宝が作成したものということ、すでに亡くなった作家であるため新作がなく、現存するものしか残っていないという希少性があるため、「1点でも高価買取が期待できる」といえるでしょう。
しかし、着物や和装小物の買取にはいくつかのポイントがあります。
まず「保管状態の良さ」です。
虫食い、汚れがないもの、かつ使用感が少ないものは高価買取のポイントとなります。
また、深見重助のような著名人の作品の場合、本人のものだとわかる「証書」があるとよいでしょう。
そして「業者選び」も重要です。
経験・知識がない者が査定をした場合、せっかく人間国宝が手がけたものでも安値で買い取られてしまうことになります。
福ちゃんは着物買取に精通した査定士が在籍しているので、高価買取に自信があります。
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なお、買取にかかる費用、査定費などはすべて無料です。
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