着物作家・細見華岳とは?
着物を高く買い取ってもらうための方法とは?
細見華岳とはどんな作家?
1922年、細見華岳(本名・細見房雄)は兵庫県で生まれ、15歳で西陣織物師の波多野諦観(はたのたいかん)に師事しました。
1943年、21歳になった細見華岳は一人前の作家として創作活動を開始しますが、この頃は第二次世界大戦真っ只中で、豪華な刺繍を施した着物などは「贅沢品」として作ることすら禁じられていました。
しかし細見華岳は「類稀な技術を持つ者」として特別に創作を許されていたことから、当時すでにトップクラスの作家として認められていたことがわかります。
しかし戦争の状況は悪化し、細見華岳も兵士として満州へ赴きました。そして敗戦を迎えてシベリアに抑留されたのち、1948年に帰国しました。
厳しい戦争を体験した細見華岳は「生きる証を表現することが自分の使命」とし、戦後すぐに創作を再開しました。
翌年(1949年)、独立。細見綴織工房を創業しました。
以降、古代織物の復元に務め、「羅」の人間国宝作家として活躍した染織作家・喜多川平朗、そして「友禅」で人間国宝に認定された森口華弘から指導を受け、作品を日本伝統工芸会に出品。
1963年、第10回日本伝統工芸展で入選を果たし、翌年には日本伝統工芸染織展で「日本工芸会賞」を受賞しています。
また、1991年から1997年には沖縄県立芸術大学美術工芸学部で指導者として教壇に立ち、技術の継承や職人の育成にも努めました。
これらの功績が認められ、1993年に勲四等瑞宝章を受章。4年後の1997年には重要無形文化財「綴織」保持者に認定されました。
2012年1月1日に逝去。細見華岳が手がけた作品は年々希少となっています。
細見華岳の「綴織」とは?
細見華岳の綴れ織りは「爪掻き綴織」という方法で作られています。
この「爪搔き綴れ」は字のごとく爪で生地を掻くようにして文様を織っていく方法なのですが、爪搔き綴織りで複雑な文様を織ろうとすると一流の職人であっても一日に1cm程度しか織ることができません。そのため、「爪搔き綴織り」は大変希少とされています。
ちなみに、この「爪搔き」をするためには爪をのこぎりのようにギザギザにする必要があるのですが、細見華岳の爪はまるで櫛(くし)のように細かく整えられていたといいます。
また、一般的な綴れ織りは横色に複数の色を使うことで文様をしっかりと表していくのですが、細見華岳の爪搔き綴れ織りは必要最低限の色しか使わずに複雑な文様を織り上げているという特徴を持ちます。
規則的で美しい文様は重厚感、上品さを感じられ、帯締めのような小さなアイテムでも唯一無二の存在感を放つとして、着物愛好家からも高く評価されています。
細見華岳の作品紹介
ここでは細見華岳の作品の一部を紹介します。
-
綴夏帯「雲珠桜」
(つづれなつおび「うづざくら」)この作品は2012年に開催された「第59回日本伝統工芸展」に出品されたもので、細見華岳の遺作となる作品です。
「雲珠桜」とは京都の鞍馬山に咲く桜のことで、鞍馬山の常緑が白、ピンクで染まっている様子が平安時代の馬具につける金具「雲珠」に似ていることからこう呼ばれています。
この作品はその桜の淡いピンクと薄い灰色の濃淡が美しく、単調なグラデーションとは異なる「奥深さ」を感じる作品となっています。
-
綴帯「せせらぎ」
この作品は2006年に開催の「第35回日本伝統工芸近畿展」に出品されたものです。
「せせらぎ」は小さく細かい長方形を使って波模様から全体に至るまでを再現しており、題名が示すとおりの美しい水流を丁寧に表現しています。
細見華岳の作品の中でも、比較的明るい色使いであるという点も特徴のひとつです。
細見華岳の着物買取は
福ちゃんにお任せください
「綴織」の重要無形文化財保持者である細見華岳が手がけた作品はもう新たに作られることがないことから希少性が高いものとなっています。
そのため、一点でも数万円単位の価値がつくことも少なくありません。
高価買取を狙うためのポイントは保存状態が良いこと、また細見華岳本人が手がけたとわかること(証書などがあること)ですが、最も重要なのは「着物に詳しい業者を利用すること」です。
専門的な知識を持っている査定士が在籍している買取業者を利用することをおすすめします。
福ちゃんのホームページでは、これまでに買取させていただいた着物の買取実績を詳細に紹介しています。
これらはすべて豊富な知識と経験を持つ査定士が査定を行い、買取させていただいたものです。
当店では着物1着、帯1点からでも査定のご依頼を受け付けていますので、ぜひ気軽にお声がけください。