着物作家・小川規三郎とは?
着物を高く買い取ってもらう方法とは?
小川規三郎とはどんな着物作家?
1936年、小川規三郎は福岡県福岡市に生まれました。
父は献上博多織の第一人者としてその名を知られる小川善三郎であり、規三郎は1951年からその父のもとで修業を開始します。
博多織の技術を身につけ、やがて優れた作品の数々を世に送り出していくことになります。
1986年、日本伝統工芸展に初入選を果たし、また1994年には日本伝統工芸染織展において「縞献上浮織帯」を出品し、日本経済新聞社賞を受賞しています。
さらにその翌年の1995年には、博多織献上研究会の「五色献上帯」の復元事業に参加しています。
このようなさまざまな事績が高く評価され、2003年には重要無形文化財「献上博多織」保持者に認定されています。
その後も積極的に制作に取り組むかたわら、後進の育成にも熱心に携わります。九州産業大学では名誉教授に任命されているほか、2006年には博多織デベロップメントカレッジの学長に就任。さらに、2010年には自らの知識や経験を語る『献上博多織の技と心』を出版するなどしています。
小川規三郎が手がける
「献上博多織」とは?
献上博多織は、実に700年以上の歴史を持つ絹織物の制作技術を指します。
縦の経糸を緊密にし、横の緯糸を太くするのがポイント。固く丈夫でありながら、しなやかな仕上がりとなるのが特徴です。
ちなみに、「献上博多織」の「献上」とは、身分の高い人へ貢物をすることを表すわけですが、博多織の帯はまさしく江戸時代、当時の福岡市を統治していた黒田藩が徳川幕府への献上品として納めていたものでした。
仏具である独鈷、華皿をモチーフにした縞模様を描くのもポイントであり、華麗にして繊細な雰囲気を持つ気品あふれるデザインが特徴です。
小川規三郎は、そんな伝統に根差した献上博多織の作品を数多く手がけています。1本ずつ手織で製造することにこだわり、デザイン面でも質的な面でも優れた最上級の作品を多く手がけています。
ちなみに、小川規三郎の作品ならではの特徴として、織り初めのところに「重要無形文化財 小川規三郎」という名前を必ず織り込んでいるということが挙げられます。
小川規三郎の作品紹介
ここでは、小川規三郎の作品のうち
代表的なものを紹介します。
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七献上博多織帯(西部伝統工芸展出品作)
深みのある藍色の地に、清廉な白と美しい淡い藍色で伝統的な献上柄を丁寧に織り上げた作品です。
繊細な手織ならではの緻密な仕上がりになっているのが特徴で、小川規三郎の作品ならではの雰囲気をしっかりと感じることができます。 -
献上博多男帯(第53回西部伝統工芸展出品作)
やや緑がかった水色の地に、白や黒などを効果的に使用して、爽やかながらもキリッと締まった印象の作品に仕上げているのが特徴です。
小川規三郎の着物買取は
福ちゃんにお任せください!
博多織の中でも最上級に位置する「献上博多織」という分野で活躍し、数々の優れた作品を世に送り出し、さらには人間国宝にも認定されている小川規三郎。
博多織の世界では機会による製造が主流になっている現在でも、一貫して手作業による製造にこだわり、繊細にして華麗な作品を生み出しています。
そんな小川規三郎の作品はいずれも高い価値を誇り、中古市場でも数万円から10~20万円台の価値をつけられることが珍しくありません。
とはいえ、献上博多織や小川規三郎の事績について詳しくない業者に見せてしまうと、その正しい価値を見極めてもらえなくなる可能性があります。
たとえば機械製造の一般的な博多織の品物だと判断されて不当に安い査定額をつけられてしまうということにもなりかねません。
そこで、しっかりした知識と経験を持つ業者を利用することをおすすめします。
また、より高価買取を目指す場合は品物の状態の良しあしも重要なポイントとなります。
たとえば小川規三郎の手がける作品は帯が多いですが、
・たとう紙で包んで平置きにする(ハンガーにかけるなどしていると傷みやすくなります)
・湿気による劣化を防ぐために年に2~3回は虫干しをする
といったことを心がけましょう。
なお、福ちゃんでは小川規三郎の作品の買取に力を入れています。
「状態がかんばしくないかも……」と思われるものであってもしっかり見させていただきますので、ぜひ気軽にお声がけください。