着物作家・鈴田滋人とは?
着物を高く買い取ってもらう方法とは?
鈴田滋人とはどんな着物作家?
1954年、鈴田滋人は佐賀県鹿島市に生まれました。
父は、佐賀県にかつて存在した「鍋島更紗」の復元に一生を捧げた鈴田照次です。
滋人は武蔵野美術大学に入学し、1979年に卒業しましたが、父の跡を継いで鍋島更紗の復元に取り組む道へと進むことになります。
大学卒業の翌年、鍋島更紗について記された秘伝書の復元を手伝ったことから本格的に関わり始め、さらにその翌年の1981年に照次が亡くなったことを受け、事業を引き継ぐことを決意。父が発見していた「木版摺更紗」を研究し、やがてこの技法をもとに制作を行うようになります。
1982年には、早くも日本伝統工芸展に作品を出品。入選を果たして注目を集めます。その後も、日本伝統工芸展では連続で入選を果たします。
1988年には日本伝統工芸染織展に出品。文化庁長官賞を受賞します。
その後もさまざまな展覧会で各賞を受賞し、日本を代表する染織家のひとりとして認められるようになります。
また、2008年には父の照次から引き継いでさらに研究を進めていた「木版摺更紗」が、国の重要無形文化財に指定され、滋人はその技術者として重要無形文化財「木版摺更紗」保持者(人間国宝)に認定。以後は日本伝統工芸展の審査員などを歴任し、現在も活躍を続けています。
「木版摺更紗」とは?
鈴田滋人や父の照次が生まれ育った佐賀県は、かつて江戸時代に鍋島藩が統治していた地ですが、ここでは工芸を中心にさまざまな文化が花開きました。一子相伝で、しかも重要な部分は“口伝え”のみで継承された「鍋島更紗」の技法を起源としてます。
もともと更紗とは、海外から入ってきた緻密で多彩な色遣いの文様を描いた染物のことですが、旧鍋島藩にはそんな更紗を独自に進化させた「鍋島更紗」が存在していました。
鍋島更紗は、一般的な更紗よりも気品にあふれ、身分が高い人々へ贈る献上品として扱われていた歴史があります。
滋人の父・照次は染織家として活躍していた人物ですが、ひょんなことから当時すでに失われようとしていた鍋島更紗の存在を知り、その復元を目指しました。
かろうじて残されていた古文書をひもといたり、更紗の起源や技法をたどるために東南アジア諸国をめぐったりして精力的に活動を行い、鈴田照次氏による鍋島更紗は、「木版摺更紗(もくはんずりさらさ)」と名付けられ、ついに「木版摺更紗」を確立し、注目を集めます。
木版摺更紗は、文様の輪郭を描くための木版を作り、さらに色摺のために型紙を作って染織を行うという繊細な作業で生み出されるものであり、その工程は複雑で繊細な作業を必要とします。
鈴田照次は1972年に「木版摺更紗」を発表し、これを活用した作品を手がけるようになりましたが、十分に研究を完成させる前に死去。その事績は滋人に受け継がれ、やがて滋人が見事に確立したことによって、重要無形文化財に認められるまでになったという歴史があります。
鈴田滋人の作品紹介
ここでは、鈴田滋人の主要な作品を
いくつか紹介します。
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木版摺更紗着物「花枝垂れ」
ピンクとホワイトの繊細なグラデーションの中に、花びらをイメージしたものでしょうか、無数の幾何学模様が並べられている……というデザインの作品です。
しかし決して無味乾燥なものではなく、花の重みで枝垂れているさまが見事に表現されていることが特徴として挙げられます。 -
木版摺更紗着物「黄花蕊」
こちらも花をモチーフにした作品です。
春先に黄色い花を咲かせるビヨウヤナギがメインのモチーフで、黄色が印象的に使用されています。
また細かいアクセントとして添えられている赤は、実際に滋人がビヨウヤナギに赤い葉が混じっているのを見つけたことから着想したものとなっています。
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木版摺更紗の技法を用い、緻密で繊細なデザインの着物を生み出している鈴田滋人。その作品は伝統美を感じさせつつも、幾何学文様を効果的に使用したモダンな仕上がりになっています。
古臭さを感じさせることがない普遍的なデザインは高く評価されており、数多くのファンがいます。
そんな鈴田滋人の作品は着物買取の業界でも価値が高く、状態が良いものであれば数万円の査定額が付けられることも珍しくありません。
更紗の着物自体は決して珍しくありませんが、鈴田滋人のデザインは特徴的ですし、本人の作品であれば落款も入っているので、きちんとした査定士に見せれば適切に査定してもらうことができるでしょう。
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