着物作家・田島比呂子とは?
買取相場はどのくらい?
今回は、友禅の世界で独自の技法を確立した作家・田島比呂子(たじまひろし)についてまとめました。
田島比呂子は重要無形文化財「友禅」保持者(人間国宝)であり、特に「堰出し友禅」という技術を確立して高く評価されました。大胆な景色を描いた友禅染の着物を数多く手がけています。
着物を愛好する方の間で人気が高いことはもちろん、着物買取の世界でも高い価値を持ちます。状態によりますが、良好な状態が保たれた着物であれば高い買取額が期待できるでしょう。
ここでは、そんな田島比呂子のプロフィールや、彼が築いた独自の「堰出し」という技法、また数多く送り出した珠玉の作品の中から主な作品を紹介します。 買取相場についてもまとめているので、ぜひあわせてチェックしてみてください。
田島比呂子とはどんな着物作家?
1922年、田島比呂子(本名は「博」)は東京に生まれました。
のちに着物作家となった田島比呂子は、優れた色彩感覚と構図に下支えされた美しい絵柄の着物を数多く手がけましたが、幼少の頃から絵画には並々ならぬ興味があったそうです。
1936年、友禅作家の高村樵耕に師事。当時、友禅の着物はデザインを決める模様師と染色を担当する染師がそれぞれに仕事をしていましたが、高村は模様師として活動していました。そんな師のもとで、比呂子はみっちりと日本画の基礎を学びます。動物や植物の模写を多く手がけ、師と隣り合わせで絵を描くなどして実力を磨いていきました。
こうして着物作家への道を歩んでいた田島比呂子でしたが、当時は日本が太平洋戦争に突入していこうとしていた頃で、比呂子もまた例外ではありませんでした。1943年に比呂子は通信兵となり、満州(現在の中国北部)に赴任しました。
ここでまったく着物や絵画には縁のない生活を送ったかに思われた比呂子ですが、広大な野原におびただしい数の鷺や鶴が舞い降りて群れる姿を目にして大いに感性を刺激されたというエピソードもあります。
戦争は比呂子の心から着物や芸術への情熱を奪いはしなかったのです。
終戦後、復員してからの数年間は肺結核に苦しみますが、療養中に正岡子規を読み、俳句や短歌をさかんに詠むようになります。明治中期から後期にかけて病床にありながら句作を続けた正岡子規の人生に感じるところがあったのでしょう。
そんな比呂子が、再び友禅の世界に帰ってきたのは1954年のこと。模様師として活動を開始し、日本伝統工芸展に作品を出品したり、日本工芸会に入会して山田貢や中村勝馬といった同時代の着物作家たちと盛んに交流を持つようになります。
そして、1950年代の後半からめきめきと頭角を現していくことになります。
1959年に日本伝統工芸展で初入選を果たすと、1966年には日本伝統工芸展で日本工芸会総裁賞を受賞。また同じ年、伝統工芸新作展で日本工芸会賞を受賞します。
1972年には日本工芸会の理事に就任したほか、1977年には茶屋辻帷子の復原というプロジェクトに参加。自分の作品作りだけでなく、文化事業にも積極的にかかわります。以後も順当にキャリアを積み重ね、1998年に友禅の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されます。
その後、2014年に亡くなるまで精力的に展覧会を開催するなどして活躍し続けました。
独自の技法「堰出し友禅」
田島比呂子は、独自の技法といわれる「堰出し友禅」を確立したことで知られています。
幼少の頃から絵画に親しみ、模様師のもとで日本画の基礎を学んで自身も模様師としてキャリアをスタートさせた比呂子は、友禅の模様を描く技法を突き詰め、最終的に”堰出し“を生み出しました。
「堰出し」とは、輪郭線のない絵を施す技法のことです。
色彩が強く強調される大胆な仕上がりになるのが特徴で、実際に田島比呂子が手がけた友禅の着物には雄大で美しい自然の姿が美しく繊細に、そして同時にパワフルに表現されています。
堰出しは、模様の下絵を描いたうえで糊や蝋で模様の外側を固めて色が染み出さないようにしたうえで、その内側に色をつけていく技法のことを指します。彩色を行い、糊や蝋を落とすと輪郭線のない仕上がりになるというわけです。
周囲を糊や蝋で固めるので、「線の外にはみ出すかも」という危惧をいだくことなく大きな刷毛で大胆に彩色することも可能で、そのことがパワフルな模様を作り上げています。
田島比呂子の作品紹介
ここでは、田島比呂子が手がけた作品の中でも
主なものをいくつか紹介したいと思います。
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友禅訪問着「篁」
篁(たかむら)は「竹藪」を意味する言葉ですが、文字通り竹が林立している情景が描かれている作品です。
風に吹かれて揺れる葉が表現されていますが、風の音さえ聞こえてきそうなダイナミックな仕上がりになっているのが特徴です。
こちらの作品は現在、神奈川県横浜市のシルク博物館に所蔵されています。 -
友禅訪問着「いとざくら」
糸桜(いとざくら)は、いわゆる「しだれ桜」のことを指します。
枝の先が糸のように垂れ、小さな花びらをつける美しい桜ですが、この作品では満開の糸桜が表現されています。
淡くかすむような可憐な花びらが「幻想的な雰囲気」をかもし出しているのが特徴として挙げられます。 -
友禅訪問着「チベットの峠」
田島比呂子は幼少期から絵画を好み、14歳のときに友禅の模様師・高村樵耕に弟子入りしてからは日本画の基礎を学びました。その一環として自然の風景や動植物を盛んに写生していたということですが、こちらの作品はまさに当時の経験が活かされたものといえるでしょう。
背後に高い山々がそびえる雄大な風景の中に、色とりどりの草花が葉を揺らし、花を咲かせている情景が繊細に描き出されています。
背後の山々はダイナミックな筆致で描かれており、手前の草花の可憐な姿と好対照をなしているのもポイント。奥行きのある風景が見事に表現された傑作といえるでしょう。
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訪問着「やえざくら」
こちらは2014年に発表された田島比呂子の遺作です。
当時の比呂子は91歳と非常に高齢でしたが、年齢を感じさせないみずみずしさで八重桜が見事に表現されています。
彩色の筆致には一切の迷いがなく、今まさに花開いて確固たる美しい姿を屹立させている八重桜の凛とした姿が、見る者の胸を打ちます。
田島比呂子の着物買取
価格はどれくらい?
友禅の世界で「堰出し」という独自の技法を編み出してそれを極め、ついには「友禅」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された田島比呂子。その作品は、いずれも優雅で大胆な彩色、デザイン性の高さで高く評価されており、高い査定額が期待できます。
買取の相場は最低でも5千円。状態にもよりますが、4万円の値がつくこともあります。また、時期によっては大幅に金額が変わることもあります。
とはいえ、その価値に見合った適正な価格をつけてもらおうと思った場合には、買取業者をきちんと選ぶ必要があります。時間があるなら事前に口コミや買取実績を確認したり、Web査定で大体の査定額を出してもらったり……といったことが考えられます。
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